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「日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか」岩瀬 昇

2018/11/09公開 更新
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日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか (文春新書)


【私の評価】★★★★★(90点)


要約と感想レビュー

 三井物産から三井石油開発で海外の石油資源開発を行ってきた著者が、日本の戦前、戦中の石油政策を調べました。戦前の日本は、アメリカによる石油輸出全面禁止により追いつめられ、対米戦争へ突き進みました。だから石油の一滴は、血の一滴と言う人もいるのです。当時の日本は樺太、満洲に進出しており、その地のサハリンや大慶といった油田を探査し、発見できていたら歴史は変わっていたでしょう。では、なぜ油田を発見できなかったのでしょうか。


 まず、樺太の油田開発については、民間で開発を進めていたものの、石油開発経験が豊富なロシア有利な条件で開発をしなてくはなりませんでした。採掘がはじまると、ロシアの嫌がらせで生産は順調に進まず、さらには松岡外相が「日ソ中立条約」と引きかえに北樺太石油利権をロシアに引き渡してしまいました。さすが、契約があっても守る気などさらさらないロシアらしい歴史だと思います。中国が最初に技術を金を出させて、事業が順調に行くと法人を乗っ取ってしまうのと似ているように思いました。


・北樺太の石油利権・・・ソ連側からすれば、まずは日本勢に作業をさせて、成功の度合いが確認できた段階で自分たちが取り組めばよい・・・ソ連は日本に供与する開発生産鉱区の一帯を基盤の目のように区分し、交互に所有するという方策を提案してきたのだ。残念ながら日本側はその意図が見抜けなかった(p80)


 満洲については、探査はしましたが、軍部が軍事秘密が漏洩することを怖れ、欧米の最先端の技術を採用せず、そのために油田を発見できなかったのではないかと推定しています。そもそも日本の軍部に石油の重要性の理解、石油開発の知識、技能がまったくなかったことが問題だったのです。


 そもそも軍部は陸軍、海軍で対立していたというのですから、日本のエリート官僚(軍人)は省益(軍益)あって国益なしという狭い了見と専門知識の不足は、現在の状況とあまり変わらないのかもしれません。著者の言葉を借りれば、戦前、戦中を通じ、日本には国家としての統一された石油政策が存在したとはいいがたく、経済統制のひとつの手段として国策に織り込まれているだけでした。なぜ、かくも場当たり主義的な対応しかできなかったのか、著者も理解できないのです。


・海外から技術ライセンスを購入すると、生産実績などを相手企業に報告する義務が生じ、軍の最高機密がもれると、真剣に危惧する軍人がいた・・・(p150)


 日米開戦前に陸軍は、三井物産ニューヨーク支店内に事務所を構えて米国の経済力調査を行ったという。日米両国の工業力の比率は、重工業において1対20であり、直ちに陸軍参謀本部の部員以上全員、海軍省および軍令部の主要な局部長以上、宮内省首脳部、外務、大蔵の各大臣、企画院総裁、陸海軍大臣、そして近衛総理などに報告したというのです。「開戦すれば負ける」と陸軍主計大佐は説得したのですが、開戦の方針を固めていた日本政府、軍首脳の考えを変えることはできなかったのです。新庄は陸軍主計大佐は三井物産社員に「数字は嘘をつなかいが、嘘が数字をつくる」と語ったというのです。


 21世紀となっても石油公団は、1兆3000億円もの不良債権を抱え2005年に解散します。一方、フランスのトタールは、セブンシスターズに並ぶほどの大手国際石油会社に成長しています。中国の「国有石油」三社は、「中国版石油メジャー」と称されるほど成長しています。この差が生じた理由は何だろうかと著者は問いかけるのです。著者の仮説は、石油公団が「事業主体でなかったから」ということです。石油公団やJOGMECは、民間企業の事業を情報提供や投融資により支援するという組織であったのです。


 戦時中に人造石油製造の要として設立された「帝国燃料興産」も「事業主体」ではありませんでした。日本政府は人造石油生産のために、「人造石油製造事業法」を公布し、政府支援のもとに増産を図ることにしましたが、大量生産が可能な商業化は実現できなかったのです。著者は、はっきりと書いていませんが、現在の日本の国家戦略を作成している人のレベルはたいして変わっていないと言いたいのだと思いました。なぜ、国内での石油開発に海外の3倍のコストがかかるのか。なぜ、石油公団、JOGMECはメジャーになれないのか。なぜ不安定な太陽光、風力に毎年4兆円もの国富を投入することになったのか。国家戦略がない、戦略を作る人もいない。そうした状況が戦前とそれほど変わっていないということなのです。岩瀬さん、良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・日独伊三国同盟にソ連を加えたユーラシア連合を形成し、米英に対抗しようと妄想していた松岡・・実は出発前には、「ドイツの仲介により北樺太をソ連から買収する」案すら検討されていたのだが、4月13日、電撃的に「日ソ中立条約」を締結して帰国した・・・だがその裏で、松岡は北樺太石油利権の放棄を約束していたのだ(p94)


・軍主導で活動していたと思われる満洲では、最先端の技術で探鉱することができなかった・・・「軍事機密」という名のもとに、すべてを自分たちの手で行おうとした過信が、こうした中途半端な探鉱を招いた・・(p136)


・燃料局石油行政に関する座談会・・・燃料局の人造石油課技師であった加治木須恵人は、「陸軍なんか燃料の『ね』の字もわかっていなかった。ただサーベルをがちゃつかせるだけだった」と手厳しいコメントをしている(p143)


・南方を武力で抑えた後の「軍政地域」の割り振り・・受容の多い海軍が輸送に必要なタンカーを押さえているのに、重要な石油生産地域は陸軍が押さえているという問題を引き起こすことになる(p194)

日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか (文春新書)
岩瀬 昇
文藝春秋
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【私の評価】★★★★★(90点)


目次

第1章 海軍こそが主役
第2章 北樺太石油と外交交渉
第3章 満洲に石油はあるか
第4章 動き出すのが遅かった陸軍
第5章 対米開戦、葬られたシナリオ
第6章 南方油田を奪取したものの
第7章 持たざる者は持たざるなりに



著者経歴

 岩瀬昇(いわせ のぼる)・・・1948年生まれ。エネルギーアナリスト。浦和高校、東京大学法学部卒業。1971年三井物産入社、2002年三井石油開発に出向、2010年常務執行役員、2012年顧問、2014年6月退職。三井物産入社以来、香港、台北、二度のロンドン、ニューヨーク、テヘラン、バンコクでの延べ21年間にわかる海外勤務を含め、一貫してエネルギー関連業務に従事。現在は新興国・エネルギー関連の勉強会「金曜懇話会」世話人として、後進の育成、講演・執筆活動を続けている。


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