【書評】「電通の深層」大下英治
2018/01/26公開 更新

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【私の評価】★★★★☆(81点)
要約と感想レビュー
高橋まつりさんの自殺
電通の新入社員、高橋まつりさんが自殺した事件がありました。
それからマスコミでは、電通の長時間労働が問題とされていましたが、自分の経験から長時間労働だけでは人は簡単に死なない。私の仮説は、上司が高橋まつりさんを個人攻撃したことによるうつ病です。
言葉による攻撃は、証拠が残りにくくその攻撃性を立証しにくい。電通の職場はどうなっているんだろう。そうした背景から、この本を手にしました。ちなみに、上司だった元部長は、東京地検から不起訴処分となっています。
彼女のツイッターには、「髪がボサボサ、目が充血したまま出勤するな」「女子力がない」「君の残業時間は、会社にとって無駄」などといった言葉が上司から投げつけられていたことが書かれている(p22)
電通は体育会系
現在は改善されていると思いますが、電通の仕事は体育会系のようです。長時間労働と残業の上限設定。上意下達。上司の力が強い。新入社員への芸の強要。
言葉にすると問題のように見えますが、どこの会社でも昔は似たようなものではなかったでしょうか。仲間が働いているのに、自分だけ帰りにくいというのは、日本の職場ではよくある風景だったからです。
新入社員は、だれよりも先に出社し、最後に退社することが決まりだった・・毎朝、部員30名のデスクの雑巾がけから仕事を始めた。仕事は、深夜二時、三時までひと時も休めないほど続いた(p55)
電通の強さの秘密はテレビの広告枠
そうした電通の強さの秘密は、テレビの枠や広告を大量に押さえていること。広告をコントロールできるということは、政府の財務省のような力を持っていることです。言うことをきかないメディアは、仕事を干せばよいのです。
例えば、電通に批判的な記事は「向こう半年、出稿を約束するから、記事の一部を修正してほしい」と記事を差し替えさせるのです。また、伝聞ですが、電通から他の広告代理店に切り換えようして、大変な事になった広告担当者がいるという。
今回は、さすがの電通も報道を押さえられなかったということなのでしょう。大下さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・スキャンダルを『週刊未来』に自分たちで吹きこんでおいて、エリナと博報堂の関係を悪くし、それから自分たちが乗り出してゆく(「小説電通」)(p458)
・どうして電通が独占禁止法に触れないのかな。独禁法に『不公正な取引方法を禁止し、事業支配の過度の集中を防止する』という項目があるだろう・・(p327)
・成田会長の生い立ちに、その秘密は隠されている・・成田は、日本統治下の韓国中清南道天安群(現在の天安市)で朝鮮総督府鉄道勤務の父親の子として生まれ、中学三年まで韓国で過ごす・・電通社長時代には韓国が遅れて招致に乗り出した2002年のサッカーワールドカップの日韓共同開催を主導(p91)
・これまで自民党のPRは、一貫して電通が担当してきた・・公明党は、電通の子会社・電通東日本が担当している。一方、民主党、民進党は博報堂が担当(p104)
・ミニ雑誌・・総会屋連中もそういう雑誌を出していて、いろんなスキャンダルを暴いていた。会社の中の内部対立があったら、一方に頼まれ、もう一方のスキャンダルをカネで外にバラしていくという形のものがあった。今は総会屋がそういう雑誌を持つこともなくなり、非常にすっきりしすぎちゃいましたね(p165)
・部長クラスとなると、3LDKの自宅の一部が、お中元やお歳暮のたびに贈り物の埋め尽くされたという(p54)
イースト・プレス (2017-03-17)
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【私の評価】★★★★☆(81点)
目次
第一部 激震ドキュメント 電通の深層
第一章 電通新入社員 高橋まつりさん過労自殺死の深層
第二章 電通、闇の実態
第三章 NHKと電通――その対立構図
第四章 永田町と電通
第五章 オリンピック利権
第六章 「鬼十則」と電通
第七章 「鬼十則」を捨てた電通に未来はあるか
第八章 【特別対談】大下英治×佐高信 「電通の正体」
第二部 【特別収録】小説電通
著者経歴
大下英治(おおした えいじ)・・・作家。1944年広島県広島市に生まれる。1歳のとき被爆。父を失う。広島大学文学部仏文学科を卒業。大宅壮一マスコミ塾第七期生。1970年、『週刊文春』特派記者として月刊『文藝春秋』に発表した「三越の女帝・竹久みちの野望と金脈」が大反響を呼び、三越・岡田社長退陣のきっかけとなった。1983年、『週刊文春』を離れ、作家として独立。政治、経済、芸能、闇社会まで幅広いジャンルにわたり執筆活動を続ける。
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