「キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!」田村 潤
2018/01/11公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(83点)
要約と感想レビュー
1987年のアサヒのスーパードライの発売により、キリンビールのシェアは落ち続けました。2001年にはキリンのシェアは40%以下まで落ち込み、アサヒがトップとなったのです。その間、キリンビールの社内はどういう状況だったのでしょうか。
著者によると本社から施策が下りてきて、それをやれば評価される。営業実績は二の次。「量より質」の営業活動で、外回りに出る人が少ない、という状況だったそうです。決められたことをやった人は評価されて、実績を出した人が評価されるわけではなかったのです。
・景品付きのキャンペーンなど具体的な施策が次から次へと下りてくるのです・・今週はこれを売ってほしい、来週はこれを、ということになるので、キリンがほんとうに何を売りたいのかわからず、キリンという会社への興味やや共感を失わせることになっていました(p25)
そうした官僚的な雰囲気の中で自ら考える風変わりな著者は、高知支店に左遷されました。左遷された著者は、何をしたのでしょうか。
それは、お客様にどうやって、飲むビールの銘柄を決めているのか聞いてみたのです。ひたすら聞いているうちに、売上シェアは25%と小さいのですが営業の効きやすい居酒屋などのお店に営業をかければよいのではないか、という仮説を立てました。
そこで著者は営業の効果が出やすい料飲店にターゲットを絞ることにしたのです。これまでキリンの社内ではよしとされてきた「量より質の営業スタイル」を「間違っている」と否定しました。それまでキリンビールの営業マンは、トップシェアにあぐらをかいて飲食店に営業せず、主に問屋だけに営業していたのです。
・組織の目標が本社から示されるプロセスの評価指標を高めることだけになっており、そこに気をとられすぎていることがわかりました・・勝つことを優先する、そのためにやることを絞り込み、本社向けの活動はやめる、という方針をヒアリング終了と同時に全員に通知しました(p125)
質より量を優先することにすると、時間が足りなくなります。そこで社内の会議を廃止しました。企画部門の担当者は会議がないので、報告の材料がない。しかたがなく現場の人間に直接話を聞きにいくようになり、自然と企画部門の目も現場に向くようになり、現場に関心をもつようになったというのです。水と油の関係だった営業部門と企画部門の関係が良くなったという。
さらに、本社からの施策の一部に対して「これは流しておけ!」などという指示も出しました。本社の施策は無視するというサラリーマンとしてありえない施策です。こうした努力の結果、高知支店は前年比の営業成績は社内1位となったのです。
その後、著者は四国本部長、東海地区本部長、営業本部長となり、キリンのトップシェア奪回を実現しました。そういえば、当時キリンの友人から一番搾りが送られてきたことを思い出しました。
会社とはビールを作っているだけではなく、人間関係模様もいろいろあるわけで、組織とは難しいものですね。田村さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・料飲店で飲まれているビールはビール全体の25%でしかありません。75%は家庭で飲まれているのです(p38)
・「上から命令された施策や企画を忠実にこなすこと」のみが仕事だとする考え方は間違っています・・自分のやり方で創意工夫をすれば、その経験が自分の営業力として蓄積される。また、細部にわたる上からの強制は、とかく営業マンに必要な「お客様の視点」が見えなくなってしまう・・(p132)
・静岡でNKK活動というものを始めました。それは、1時間で25軒、2時間で40軒、何も(N)考えないで(K)行動する(K)というすさまじい訪問活動でした(p143)
講談社
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【私の評価】★★★★☆(83点)
目次
第一章 高知の闘いで「勝ち方」を学んだ
第二章 舞台が大きくなっても勝つための基本は変わらない
第三章 まとめ:勝つための「心の置き場」
著者経歴
田村 潤(たむら じゅん)・・・1950年、東京都生まれ。元キリンビール株式会社代表取締役副社長。成城大学経済学部卒。1995年に支店長として高知に赴任した後、四国4県の統括本部長、中部圏の統括本部長を経て、2007年に代表取締役副社長兼営業本部長に就任。全国の営業部の指揮を執り、2009年、キリンビールのシェアの首位奪回を実現した。
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