【書評】「誰がこの国を壊すのか」森達也、上杉隆
2017/10/05公開 更新

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【私の評価】★★★☆☆(77点)
要約と感想レビュー
上杉さんの主張
元衆議院議員公設秘書、元ニューヨーク・タイムズ記者の上杉さんを知りたくて読んだ一冊です。元テレビ制作会社社員で、オウム真理教のドキュメンタリー映画を作った森さんとの対談となっています。
上杉さんの主張は、談合組織である記者クラブの廃止と、署名記事の拡大です。横並びを尊重する記者クラブは、真実を伝えるというジャーナリズムとは相容れないのです。
アメリカのメディアでは、ミスは100回してもいいが、一回でも嘘をついたらメディア全体から追放される。反対に日本の場合は嘘をついていなければ出世するのだという。
また、アメリカの新聞は、客観報道は放棄して主観に基づく署名報道です。署名記事の少ない日本との差は大きいのでしょう。
日本にはNHKとか朝日新聞とか立派なメディアはある。だけど、真実を伝えようとするジャーナリズムはそれらのメディアの中にはない。今回の原発報道を見れば、それは明らかでしょう?出世に響くとか飛ばされるとかいう理由で真実を伝えようとしない(上杉)(p68)
森さんの主張
森さんの主張は、司法制度の歪みへの恐怖です。起訴されれば、99%有罪にとなる司法と、容疑者段階で犯罪者扱いされる報道は怖いのです。状況証拠で死刑になる司法も怖いと言えるわけです。
そのような司法制度ですから、仮に覚えのない痴漢に間違われたら、逮捕を避けるために連絡先を伝えて、その場を立ち去るのがいいらしい。推定有罪の世界は、怖いものがあります。
また、推定無罪なはずなのに、和歌山カレー事件のように物証はなく、本人も否定しているのに、ただ状況証拠を集めただけで死刑が確定しています。木嶋佳苗裁判も同様で、推定有罪は、かつてではあり得ない状況だという。
同じように、推定無罪で容疑者の有罪・無罪を決定するのは裁判所の仕事はずなのに、警察が容疑者を発表した途端に、写真が報道され、容疑者は断罪されます。今は有罪を警察と報道機関が行っているのです。
例えば、松本サリン事件では、本当は被害者であった河野義行さんが重要参考人として取り調べを受け、マスコミがあたかも河野さんを犯人であるがごとく報道しました。厚生省の村木厚子元局長の冤罪事件も、マスコミは村木さんに謝罪していないという。衆議院議員の牧義夫氏に関する朝日新聞の誤報問題も裁判でも負けているにもかかわらず、朝日新聞は謝罪していないというのです。
推定無罪原則を厳守するならば、容疑段階では容疑者も被害者も匿名になるはずです。実際にそうした報道を実践している国は多い。韓国も実はそうです・・北欧なども匿名報道です(森)(p192)
日本は忖度・談合する社会
人間関係の濃密な日本は、住みやすい安全な国ですが、忖度・談合する社会でもあります。そうした社会であっても、より事実に近づきたいという二人の気持ちが伝わりました。
上杉さんはニューヨーク・タイムズでの経験が大きいように感じました。
上杉さん、森さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・TBSのワイドショーが坂本堤弁護士のインタビュー映像をオンエア前にオウムの幹部たちに見せたことで、結果的には一家の殺害に繋がったということが明らかになった。しかもTBSはこの事実を伏せていた・・叩きながら各局は、「ウチもやばい」と・・(森)(p105)
・原発事故に関しても同じ。自己検証、自己批判がまるでない・・日本は「誰かの責任ではなくみんなの責任だ。だから許してね」で済んできた社会なのです・・(上杉)(p131)
・ニュースのエンターティメント化については、もちろん功と罪の両方があります。でも番組立ち上げ時のディレクターたちを何人か知っていますが・・「俺たちが日本の報道をダメにした」との言葉を何度か聞いたことがあります。確かにテレビ・ジャーナリズムを視聴率という市場原理と結びつけた番組の嚆矢(こうし)は、「ニュースステーション」(森)(p26)
・堀江さんはまず「ご迷惑をおかけしました」と謝るわけです。それから208億円を弁済したことを説明した・・「バンキシャ!」の記者ですけど、「謝らないんですか」と訊くわけです。堀江さんは、いやさっき謝りましたけど・・もう一回謝った。その部分は「バンキシャ!」放送時では使われない。・・そして放送時にスタジオで粕谷賢之解説委員が、「まだ一言も謝っていない」と断罪する(上杉)(p181)
・田中眞紀子さんに関する一連の報道・・彼女に関するいろいろなエピソードを話すと、局の担当者がうなずきながら聞いてくれるのです。「そうですよねえ、本当にひどいですよねえ、ウチもドタキャンされて」みたいな感じで。そして、ついでのように「田中眞紀子さんにはいいところはないんですか?」というようなことを聞いてくる。こちらは「まあ、突破力とか、既成概念にとらわれないとかはいいんじゃないですか」とか答えるわけです。すると、放送ではその部分だけが使われる・・テレビには生放送しか出ないと決めたことさえありました(上杉)(p35)
・確かに橋下さんが指摘するように市の清掃局・交通局で解放同盟の職員が一般企業の1.5倍の給与をもらっていて、それが公務員給与全体、ひいては大阪市財政を圧迫しているのは一部本当にあるかもしれません・・いきなり入れ墨を持ち出すという彼一流のやり方に僕は首肯できない(上杉)(p188)
・現状の刑事司法の問題点は、それこそ取り調べの可視化問題であったり、起訴後の有罪率99.9%というありえない数字であったり・・司法の民意に迎合する傾向が加速度的に大きくなっている(森)(p172)
・政治部出身者がNHK経営中枢を独占していることは問題です。政治部記者が何人いるかというと50数人で、全職員1万3000人のうちの0.6%にすぎない。その0.6%で経営の8割を占めてしまうというのは、おかしいのではないか(上杉)(p145)
【私の評価】★★★☆☆(77点)
目次
第1章 オウム事件―メディアと社会の分水嶺
第2章 メディアは社会の合わせ鏡である
第3章 客観中立報道はあり得ない
第4章 メディア論とジャーナリズム論を峻別すべし
第5章 メディアは市場原理でしか動かない
第6章 国家権力の監視こそメディアのレゾンデートル
第7章 上杉隆=メディア論
第8章 未だリテラシーを語る段階にあらず
著者経歴
森達也(もり たつや)・・・1956年広島県生まれ。86年、テレビ制作会社に入社。デビュー作は小人プロレスのテレビドキュメント作品。以降、報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に数々の作品を手がける。98年、オウム真理教の荒木浩を主人公にするドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。現在は執筆が中心。近著に、第33回講談社ノンフィクション賞を受賞した『A3』(集英社インターナショナル)などがある
上杉隆(うえすぎ たかし)・・・1968年福岡県生まれ。ホテル、テレビ局、衆議院議員公設秘書、ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者などを経て、フリージャーナリストに。政治、メディア、ゴルフなどを中心に活躍中
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