「教科書には載っていない! 戦前の日本」武田 知弘
2016/06/09公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(75点)
要約と感想レビュー
この本では、戦前として昭和元年~14年を中心に記載した一冊です。アジアからの留学生が街を歩き、ミルクホールで不良が牛乳を飲み、電気が普及してきた時代。西欧の植民地にならなかった先人の気概が素晴らしいと感じました。
・大正5(1916)年になると、東京や大阪で80%、全国では40%の家庭に電気が行き渡っていた(p100)
その一方で、財閥が資本を独占し、労働者と資本家が別れ、貧富の差が激しかったようです。家には雷親父が鎮座し、風俗は合法であり、貧民街があった。今の日本の中間層が厚いのは敗戦の財閥解体とインフレにより、すべての人が0からスタートしたからでしょうか。
・終戦時、4大財閥は、全国の会社の払込資本金のおよそ50%を占めていた(p197)
歴史というのは、こうした「へっー」から始めると本来の楽しさが分かるんだなあ、と思いました。良い面も悪い面も、すべての風俗の中で、歴史が作られていくのです。
武田さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・当時は男性の性に限っていえば今よりも寛容だった。そのため、男の子が15、6歳になると、親や親せきが「筆おろし」に連れて行くなどということが平然と行われていた(p21)
・これらの風俗カフェは深夜営業もしており、女給は喫茶店のウェイトレスというよりも、キャバクラ嬢に近いものだった。店からは給料は出ず、客のチップだけが収入源だった。(p28)
・昭和3年の綿製品の輸出量はイギリス製品と比べると37%程度だった。それが昭和7年には92%と肉薄。4年後には完全に追い抜いている(p81)
・新幹線は、戦後になって企画立案されたものではない。実は、計画自体は戦前に作られ、着工のゴーサインまで出ていたプロジェクトだったのである(p111)
・小学校は16の等級に分かれ、半年に1回行われる試験に合格しないと進級できないシステムになっていた。教室内の席順は成績順になっており、試験の成績に応じて変更された。成績の順位などのことを「席次」というこがあるか、それはこの頃のなごりなのである(p129)
・昭和4年頃、日本石油や日本郵船といった大企業では、課長クラスで年収1万円・・現在の貨幣価値に換算すれば、年収5000万円ほどになるだろうか(p153)
・戦前にあって戦後にはなくなったものに、残飯屋というものがある・・戦前は、貧富の差が激しく都市のいたるところに貧民街があった(p202)
・幕末から明治にかけて、金光教や神道本局、神理教、天理教、大本教といった教団が勃興し、大正から昭和初期にかけてはひとのみち教団(現・PL教団)、霊友会、世界救世教、成長の家、立正佼成会、創価学会といった団体が生まれている(p226)
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【私の評価】★★★☆☆(75点)
目次
第一章 不思議の国「戦前の日本」
第二章 本当は凄い! 戦前の日本
第三章 古くて新しい戦前の暮らし
第四章 熱く迷走する戦前の日本
著者経歴
武田 知弘(たけだ ともひろ)・・・1967年生まれ。大学中退後、塾講師、出版社勤務を経て、2000年からフリーライターとなる。裏ビジネス、歴史の秘密など著述活動を行っている。
読んでいただきありがとうございました!
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