「火怨(上・下) 北の燿星アテルイ」高橋 克彦
2015/04/26公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(82点)
要約と感想レビュー
■八世紀の東北地方(蝦夷)では
黄金が産出したことから、
朝廷側の軍事的進出が進みました。
蝦夷の反乱を治めたのは、
征夷大将軍坂上田村麻呂です。
中央の歴史から見れば蝦夷征伐。
東北から見れば、中央からの侵攻です。
・朝廷が欲しがっているのは陸奥の黄金。それを懐ろに抱えているのは物部だ。だからこそ物部はそなたらを煽り立てて戦さとしたのよ。(下p174)
■人口と軍事力の圧倒的な差に対し、
蝦夷は知恵と工夫で対抗します。
しかし、歴史は強いものが勝つ
というのも事実なのです。
読みながら、戊辰戦争と
重なってきました。
高橋さん、
良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・敵の兵力は無尽蔵。その気になれば二、三十万の兵を注ぎ込むこともできる。それをさせずに戦うのが策というものだ。たまたま我らに運があった、と敵に思わせておくのが大事。(上p384)
・朝廷軍は蝦夷を人と思うておるまい。それに対して我らは戦っている。何も求めておらぬ。人として扱うなら従いもしよう(上p482)
・蝦夷はもともと出雲の斐伊(ひい)川流域が蝦夷の本拠。斐伊を本とするゆえ斐本(ひのもと)の民と名乗った。それがいつしか日本を変えられて今に至っておる。宮古や玉山金山の辺りを下斐伊(現在の岩手県下閉伊(しもへい)郡)と呼ぶのもその名残(下p114)
・迷いもせずに武力を用いたのは蝦夷を対等の者と見ておらぬ証し。鮮麻呂さま以降、我ら蝦夷は受ける戦さばかりで攻めてはおらぬ。(下p259)
・里に戻って幼き子らに申せ。我らは今の子らのために戦い、その子の子供や孫のために戦いを止めたのだと。朝廷が我らに対する侮りを変えぬ限り、いつかまた戦さとあんるやも知れぬ。(下p523)
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【私の評価】★★★★☆(82点)
著者経歴
高橋 克彦(たかはし かつひこ)・・・1947年生まれ。小説家。盛岡市在住。岩手中学校・高等学校を経て早稲田大学商学部卒業。盛岡藩の御殿医の家系で開業医の家庭に育ち、医学部受験の経験がある。父は医師の高橋又郎(2002年没)。エッセイストの高橋喜平と、「どろ亀さん」の愛称で親しまれた東大名誉教授の高橋延清は伯父にあたる。
読んでいただきありがとうございました!
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