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「南京事件「証拠写真」を検証する」東中野修道、小林 進、福永 慎次郎

2013/10/29公開 更新
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南京事件「証拠写真」を検証する


【私の評価】★★★☆☆(79点)


要約と感想レビュー

 中国の共産党が力を入れてPRしている南京大虐殺について、勉強するために手にした一冊です。80年前の1930年代の中国では、多くの軍閥同士の内乱状態にありました。毛沢東の率いる共産党は、蒋介石の国民党に追い詰められ、その矛先を日本に向けるため「対日宣戦」を布告します。


 その後、1937年に演習中の日本軍が何者かに攻撃され近くに駐屯していた中国軍と衝突した蘆溝橋事件。北京では日本軍のトラックを中国兵が攻撃し、中国軍と衝突した広安門事件。通州では200人以上の日本人が虐殺された通州事件が起こります。これらの中国人による挑発と邦人の虐殺に、不拡大政策をとっていた日本もさすがに我慢できなかったのです。


・この蘆溝橋事件につづいて北京では広安門事件(・・・支那駐屯歩兵第2連隊第2大隊が北京城内の三個旅団の当局と約束のうえ、北京の広安門から入城しようとしたところ、中国兵が閉門して猛射を浴びせた事件)が、通州では通州事件が起きる。とくに通州事件では日本人居留民200余名が中国軍に殺害された(p28)


 日本を徴発することで日本を中国人民共通の敵に仕立て上げ、自己の保身と影響力の拡大を図るのは、現在の中国共産党と全く同じでわかりやすい戦略です。こうした執拗な中国の挑発に、日本は上海の1万人の邦人を守るため軍隊を派遣します。中国側は、ドイツの助言によりトーチカを構築しており、日本軍は"約4万人"もの死者を出しながら上海を陥落させるのです。


 中国側は降伏せす南京へ逃げ、日本軍は中国軍を追撃し、南京を陥落させました。後に山本七平氏は、停戦の合意ができたはずなのに、南京攻撃を続けたと批判しています。上海、南京では、日本人も何万人も亡くなったし、中国人も何万人も亡くなりました。戦争ですから。中国人民からすれば、自国の共産党が挑発したとはいえ、自国の領土での戦争は許せないことでしょう。


 この本では、こうした背景で起こった南京事件での日本軍の大虐殺の証拠写真について、本当に意味のあるものであるのか検証しています。その結論は、「証拠写真」として通用する写真は一枚もなかったということです。


 例えば、朝日新聞記者である本多勝一が『中国の日本軍』の118頁に掲載された写真には、「婦女子を狩り集めて連れていく日本兵たち。強姦や輪姦は7、8歳の幼女から、70歳を越えた老女にまで及んだ」と説明しています。実は、この写真は『アサヒグラフ』昭和12年11月10日号(12頁)に掲載されており「我が兵士に護られて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群」と解説されているのです。


 また、中国機関車連絡会編『新編 三光(第一集)』で「逃亡できぬように片足を切断された中国人捕虜」と説明された写真は、「毎日グラフ 日本の戦歴」にも掲載されており、日本軍の衛生兵が傷ついた中国兵を手厚く看護したと説明されているのです。
 

・多くの見物人がいることから、これらの写真は公開処刑の写真である・・・たしかに日本軍は南京陥落後の「安全地帯」掃討作戦において一部の中国兵を白昼「揚子江岸」で処刑した。しかしそれが非公開であった・・(p94)


 『写真集 南京大虐殺』と『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』に掲載されている日本軍とされる写真も、襟が日本軍の詰め襟ではなく、左腰に刀の鞘がなく、右腰のベルトに固定されているはずの水筒がベルトの上に位置しているなど、ほとんどの写真に疑問点が見られるのです。


 日本の悪行をPRしたいはずなのに、このように簡単に解析されてしまう捏造写真を使っていては、そうした事実を正しく伝えられないばかりが、逆に信頼を失うことにもなりかねません。尖閣沖の漁船衝突事件のように、中国が信頼を失わないようにもう少し慎重に捏造するよう助言する一冊だと思いました。東中野さん、良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・この写真は、アメリカの写真雑誌『ライフ』が1937(昭和12)年10月4日号に掲載した・・・日本軍の爆撃を受けて破壊された上海南市の停車城で幼児がひとり取り残され泣き叫んでいる・・・この写真の撮影者は、世界的に知られた中国系アメリカ人H・S・ワン(王小亭)である・・・子供を後から連れて来てポーズさせてとった偽造写真であることを更に写真で証明している・・(p81)


・南京大虐殺記念館の説明は「日本軍は南京で中国の児童を虐殺した」となっている・・・これは朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』に載っていた写真で、写真の上部には「土匪のために惨殺されたる鮮人の幼児」という説明文が焼き込まれている(p158)


・昭和12(1937)年12月13日の(南京)城門陥落の翌日、国際委員会が日本大使館に宛てた第一号文書は、「貴砲兵部隊が安全地帯に砲撃を加えなかった立派なやり方に感謝(中略)するために、この手紙をお送りしております」という感謝の言葉から始まっている(p76)


南京事件「証拠写真」を検証する
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東中野 修道 小林 進 福永 慎次郎
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【私の評価】★★★☆☆(79点)


目次

プロローグ 「証拠写真」の源流をたどる
第1章 南京戦とは何だったのか
第2章 初めて世に出た「証拠写真」
第3章 趣向を凝らした追加写真
第4章 「撮影者判明」写真はどのように使われているのか
エピローグ 「証拠写真」として通用する写真は一枚もなかった



著者経歴

 東中野修道・・・昭和22年、鹿児島生まれ。大阪大学大学院博士課程修了後、西ワシントン大学客員教授、ハンブルク大学客員研究員を経て、亜細亜大学教授。文学博士。日本「南京」学会会長


 小林進・・・昭和21年生まれ。電気通信大学卒業。通信機メーカー勤務。南京事件研究会会員


 福永慎次郎・・・昭和20年生まれ。北海道大学卒業。鉄鋼メーカー勤務。南京事件研究会会員


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