「南京事件「証拠写真」を検証する」東中野修道、小林 進、福永 慎次郎

|

南京事件「証拠写真」を検証する

【私の評価】★★★☆☆(79点)


■中国の共産党が非常に努力してPRしている
 南京大虐殺について調べています。


 ことの起こりは、80年前の1930年代にさかのぼります。

 当時の中国は、多くの軍閥による内乱状態にありました。


 毛沢東の率いる共産党は、蒋介石の国民党に追い詰められ、
 その矛先を日本に向けるため「対日宣戦」を布告します。


 その後、1937年に蘆溝橋事件。
 北京では広安門事件。
 通州では通州事件が起こります。


 こうした中国兵による挑発と邦人の虐殺に、
 不拡大政策をとっていた日本も
 さすがに我慢できませんでした。


・この蘆溝橋事件につづいて北京では広安門事件
 (・・・支那駐屯歩兵第2連隊第2大隊が北京城内の
 三個旅団の当局と約束のうえ、北京の広安門から
 入城しようとしたところ、中国兵が閉門して猛射を
 浴びせた事件)が、通州では通州事件が起きる。
 とくに通州事件では日本人居留民200余名が
 中国軍に殺害された
。・・・ところがその和平交渉の
 当日、上海で中国の保安隊が大山勇夫海軍中尉と
 部下一名を殺害したことから、第二次上海事変が
 勃発してしまう(p28)


日本を中国共通の敵とすることで、
 自己の保身と拡大を図るのは、
 現在の共産党と全く同じでわかりやすい。


 こうした執拗な中国の挑発に、
 日本は上海の1万人の邦人を守るため
 軍隊を派遣します。


 中国側は、ドイツの助言によりトーチカを構築しており、
 日本軍は"約4万人"もの死者を出しながら
 上海を陥落させます。


 中国側は降伏せす、南京へ逃げ、
 日本は、中国軍を追撃し、南京を陥落させます。


 後に山本七平氏は、停戦の合意ができたはずなのに、
 南京攻撃を続けたと批判しています。


・多くの見物人がいることから、これらの写真は公開処刑の
 写真である・・・たしかに日本軍は南京陥落後の「安全地帯」
 掃討作戦において一部の中国兵を白昼「揚子江岸」で処刑した。
 しかしそれが非公開であった・・(p94)


■上海、南京では、日本人も何万人も亡くなったし、
 中国人も何万人も亡くなりました


 戦争ですから。


 中国からすれば、自国の共産党が挑発したとはいえ、
 自国の領土での戦争は許せないことでしょう。


 それなのに、このような偽造の写真を使っていては、
 そうした事実を正しく伝えられないばかりが、
 逆に信頼を失うことにもなりかねません。


 尖閣沖の漁船衝突事件のように、
 中国が信頼を失わないように
 助言する一冊だと思いました。


 東中野さん、
 良い本をありがとうございました。


───────────────────────────────


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・『毎日グラフ 日本の戦歴」掲載の上の写真は、
 日本軍の衛生兵が傷ついた中国兵を手厚く看護したことを
 示す写真だが、中国機関車連絡会編『新編 三光(第一集)』
 は、これを掲載したさい、写真右上の「衛生隊」の
 文字を消して、「逃亡できぬように片足を切断された
 中国人捕虜
」という説明を付している(p50)


・この写真は、アメリカの写真雑誌『ライフ』が1937(昭和12)年
 10月4日号に掲載した・・・日本軍の爆撃を受けて破壊された
 上海南市の停車城で幼児がひとり取り残され泣き叫んでいる・・・
 この写真の撮影者は、世界的に知られた中国系アメリカ人H・S・ワン
 (王小亭)である・・・子供を後から連れて来てポーズさせて
 とった偽造写真であることを更に写真で証明している・・(p81)


・本多勝一『中国の日本軍』(118頁)は、この写真を掲載し、
 「婦女子を狩り集めて連れていく日本兵たち。強姦や輪姦は
 7、8歳の幼女から、70歳を越えた老女にまで及んだ」と 
 説明していた・・・じつは『アサヒグラフ』昭和12年11月10日号
 (12頁)に掲載されていた・・・「我が兵士に護られて
 野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群
」(p113)


・南京大虐殺記念館の説明は「日本軍は南京で中国の児童を
 虐殺した
」となっている・・・これは朴慶植『朝鮮人
 強制連行の記録』に載っていた写真で、写真の上部には
 「土匪のために惨殺されたる鮮人の幼児」という
 説明文が焼き込まれている(p158)


・写真102は『写真集 南京大虐殺』と
 『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』に掲載されている・・・
 まず襟が日本軍の詰め襟ではない。
 左腰に刀の鞘がない。右腰のベルトに固定されているはずの
 水筒がベルトの上に位置している。(p168)


・昭和12(1937)年12月13日の(南京)城門陥落の翌日、
 国際委員会が日本大使館に宛てた第一号文書は、
 「貴砲兵部隊が安全地帯に砲撃を加えなかった立派な
 やり方に感謝(中略)するために、この手紙をお送り
 しております」という感謝の言葉から始まっている(p76)


南京事件「証拠写真」を検証する
東中野 修道 小林 進 福永 慎次郎
草思社
売り上げランキング: 63,535

【私の評価】★★★☆☆(79点)

この記事が参考になった方は、クリックをお願いいたします。
↓ ↓ ↓ 
人気ブログランキングに投票する
人気ブログランキングへblogrankings.png


楽天ポイントを集めている方はこちら



読んでいただきありがとうございました!


メルマガ「1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』」
36,000名が読んでいる定番書評メルマガです。購読して読書好きになった人が続出中。
もちろん登録は無料!!
        配信には『まぐまぐ』を使用しております。



この続きは無料メールマガジン 「1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』:1ヶ月30冊を超える情報をe-Mailで」でお読みいただけます。

無料メルマガ購読

>月別(2002年7月~)