【書評】「叱り叱られの記」後藤清一
2003/09/22公開 更新
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【私の評価】★★★★☆(87点)
人間、四十才を過ぎたら、己れの顔に責任を持てといわれる。同じ意味で、人間、四十才を過ぎたら、己れの運命に責任を持つべきではあるまいか。
●多くの本を読むなかで気がついたことですが、
 成功している人、お金持ちの人は、
 「私は運がよかった」とよく言っています。
 「夢を持った、苦労した、でも運良く成功した」
 こういう感じです。
●でも本当に運なのでしょうか。
 ポイントは「苦労した」というところで、
 この中身が問題です。
 成功している人は真剣に苦労しています。
 そして、諦めません。
 成功するまで、工夫するのです。
 その真剣さが運をひきつけます。
●ですから、これは運ではないのですが、
 そこを「運がよかった」ということで、
 謙虚に次の成功に進めるのでしょう。
●この本で私が共感したところは次のとおりです。
・私情にかられてのそれ(叱る)はいけないけれども、ものの道理にはずれたことをした人には真剣に叱る、それは人情を超えた、人間としての大切なつとめの一つではないだろうか。(松下幸之助)
・(松下幸之助は)甘やかせたり、ベタ褒めする、ということもされなかった。厳しくする時には厳しく筋を通す。一方、功績があれば、それを認めて褒める。何でもないことのようだが、これを自然に行うということは、なかなかむずかしいことであろう。
・「できるだけやります」-これほど人を侮蔑したことばはない。初めから逃げ道をつくっての返答。私のもっとも嫌うところである。
・(松下幸之助は)社員をなんとか一人前にしてやろうという愛情、あふれ出るような正義感、さらに方針というか、ひとつの企業の理想像を持っておられた。そのどれにふれても雷が落ちる。
・松下という人は、つねに遠くを見ている。その遠くから、現在只今にグッと二本のレールを敷く。そしてそのレールの上をひた走った感がある。あの激しさは、それ以外の何物からくるものではない。松下の経営はこうあるべきや。松下の社員はかくあるべしや。大将の頭の中には、理想がある。理想の経営というものに対する動機づけ、方向づけに寄せるあふれ出るような意欲と気迫だ。
●この本は、松下幸之助、井植歳男という
 二大経営者に仕えた
 後藤清一氏の経験を綴った書です。
 やはりなんといっても、
 前半の松下幸之助、井植歳男とのやり取り、
 経験談が圧巻です。
 ただ、呆然と読み進む私がいました。
 「これでは、だれでも
 松下電器のために命をかけて働くな」
 というのが読後の感想です。
▼引用は、この本からです。
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【私の評価】★★★★☆(87点)















































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