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在宅ホスピス「「そのとき」までをどう生きるのか」山崎 章郎

2022/07/20公開 更新
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「「そのとき」までをどう生きるのか」山崎 章郎


【私の評価】★★★★☆(89点)


要約と感想レビュー

患者への告知と緩和ケアを提供

私がこの時代に生まれてよかったと思う点が2つあります。一つはパソコンとインターネットがあること。2つ目はどのような病気でも、告知を受けることができるということです。私が社会人になった30年前には、末期のがん患者への告知はタブー視されていました。そのため末期のがん患者は、嘘の病名を説明され、貴重な残りの時間を偽りの希望にすがって病室のなかでひとり孤独に死んでいく人が多かったのです。


1970年代にはアメリカでは病気を告知するインフォームド・コンセントの概念が医療訴訟対策として確立されていました。著者は1980年代から、自分の勤める病院内でカンファレンスを開き、患者さんに告知するべきなのかどうか、末期がん患者にどう寄り添うべきか意見交換を始めたのです。


現在でもインフォームド・コンセントは法制化されていませんが、日本の医療の常識になってきました。著者も患者への告知と、末期の患者に対してはホスピスでの緩和ケアを提供することに取り組んできたのです。そして現在、著者は患者の求める「在宅」のホスピスケアに取り組んでいるのです。


「ところで先生、私のほんとうの病気はなんだったのですか?」僕は思わずうろたえた(p12)

病院は忙しいので表面的な対応になりがち

この本で提示している医療の問題は、病院では忙しいのでどうしても表面的な対応になってしまうということです。


例えば、排便をしたいだけなのに筋力が弱っているとなかなか起き上がれない患者がいたとしましょう。本来であれば「起き上がりたいの?」と聞けば済む話なのですが、表面的に見ればベッドで苦しんでいるように見える。場合によっては、興奮して暴れているように見えるわけです。そこで、病院では鎮痛剤で眠ってもらおうかという話になってしまうのです。


実際、著者の著者のホスピスでの持続的鎮静率は10%程度ですが、他のホスピスでは末期がん患者の50%以上に持続的鎮静施行率のところもあるという。苦痛からは開放されますが、その代償として家族と会話することができなくなるのです。


病棟では、この深い持続的鎮静が安易におこなわれていないだろうか・・・病棟での鎮静の率が在宅に比し高いからである(p17)

理想は在宅のホスピスケア

そして、医療の根本問題は、治療が最優先で、患者がどう生きるのかという視点に立っていないということです。もちろん完治を目指して治療するのですが、かん治療では完治ではなく、延命が目的になっています。ところが延命の可能性が低い場合もあるし、仮に若干延命したとしても、その延命した時間が充実したものであったのかどうか著者には確信がないのです。


実は、助からないのに治療の成績データを集めるための治療になっているのではないか、そのために貴重な患者に残された時間をムダに使っているのではないかと、著者は問題を投げかけるのです。


著者の回答は、在宅のホスピスケアなのですが、現実には患者の半分は余命1ヶ月もないということです。抗がん剤やがん治療を行い、ぎりぎりになってやっとホスピスにやってきても、余命はたったの1ヶ月。これが日本の現実なのです。治療をしないという選択もあるのでしょう。


「結局のところ、人生を生きていく秘訣は「納得」なのではないかと思う」という著者の言葉に衝撃を受けました。著者の理想の終末ケアに向けた取り組みは続くのでしょう。山崎さん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言

・在宅のホスピスケアの前提として、患者さんやご家族が納得できるまでおつき合いする・・・往復も入れて一時間前後は見込んでおく(p5)


・がんカフェやかん患者サロン・・・患者さん同士の交流や情報交換・・・今という時間をどう生きるのか、考えるヒントが得られるかもしれない(p34)


・ケアするとは、相手の思いを聴き、確認し、共感しながら、丁寧に、誠実に、具体的にケアすることだろう(p118)


・どう生きるかよりも、どう治療するかという「目的化された治療の継続」に人生の大切な時間が埋没してしまっている(p189)


▼引用は、この本からです
「「そのとき」までをどう生きるのか」山崎 章郎
山崎 章郎 、春秋社


【私の評価】★★★★☆(89点)


目次

1 どう生きるかという問題
2 ひとりの人と向き合って
3 それでもなお生きる意味
4 ケアの現場で学んだこと
5 「死」も「生きる」の一部



著者経歴

山崎章郎(やまざき ふみお)・・・1947年、福島県生まれ。千葉大学医学部卒業後、同大学病院勤務。1984年より八日市場市民総合病院(現・匝瑳市)にて消化器医長を務め、院内外の人々とターミナルケア研究会を開催。1990年、『病院で死ぬということ』刊行。91年より聖ヨハネ会総合病院桜町病院(東京・小金井市)に移り、05年までホスピス科部長を務める。05年10月にケアタウン小平クリニック(東京・小平市)を開設。現在、ケアタウン小平クリニック院長


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