「知ってはいけない明治維新の真実」原田 伊織
2020/04/29公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(85点)
要約と感想レビュー
戊辰戦争は何だったのか
明治元年が1868年ですから今年は明治維新から152年。人生75年とすれば、2世代過ぎたことになります。ちょうど中間に太平洋戦争が入っていますので、歴史は75年で大転換するのかもしれません。さて、東北人の私にとって、「戊辰戦争は何だったのか」というのは心の中の闇のテーマとなっています。
この本では、明治維新とは薩摩・長州などによる軍事クーデターであったとしています。ウクライナにとってロシアはテロリスト国家であるように、長州の吉田松陰、桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、山縣有朋、伊藤博文、井上薫、薩摩の西郷隆盛、大久保利通、土佐の坂本龍馬、板垣退助、後藤象二郎、肥前の大隈重信、江藤新平たちは幕府側から見ればテロリスト集団だったのです。
・薩摩島津家は、幕府による貿易管理の目をかいくぐって結局密貿易によって財を蓄え、それでイギリスから最新鋭の兵器を購入し、軍事クーデターによって政府を倒してしまうのです(p26)
薩長の軍事力によるクーデター
その明治維新と言われるクーデターは、テロと軍事力によって成立しました。欧米列強と外交を行う幕府に対して、薩長土佐藩士が「攘夷」を叫んで京都でテロ活動を行いました。特に、長州の桂小五郎たちは、京都で略奪、放火、暗殺というテロ行為を行ったのです。桂小五郎29歳、高杉晋作23歳、久坂玄瑞22歳、吉田稔麿21歳という年齢を見れば、「ならず者」集団だったのでしょう。
薩長は孝明天皇を暗殺(推定)し、京都に派兵したうえで15歳の明治天皇を人質とした「王政復古の大号令」を発布。大号令がうまくいかないとみると、薩長は幕府を挑発するために赤報隊を組織し、江戸でテロを行ないました。具体的には毎夜のように、鉄砲や刀を持った赤報隊が江戸の商家へ押し入るのです。その家の人たちや近隣の住民が惨殺されたりしました。そして、赤報隊は必ず三田の薩摩藩邸に逃げ込むのです。
こうしたテロをきっかけに鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争とつながり、薩長の軍事力によるクーデターが完成することになるのです。
・テロリストには、薩摩藩士や土佐藩士、土佐の郷士崩れなども含まれていますが、圧倒的中心が長州のテロリストでした。彼らのやり口は非常に凄惨で、首と胴体、手首などをバラバラにし、それぞれ別々に公家の屋敷に届けたり、門前に掲げたり、上洛していた一橋慶喜(後の将軍・徳川慶喜)が宿泊する東本願寺の門前に掲げたり、投げ入れたりしたのです(p156)
長州は天皇の御所に大砲を打ち込む
幕府人にとって、錦旗を偽造するなどという行為は想像を絶する悪行であり、思いもよらないことでした。その点、薩長は柔軟であったのです。特に長州人は、天皇の御所に大砲をぶっ放しており、歴史的に長州人は天皇を利用するものと見ている可能性があります。現代に置き換えれば、某宗教団体が日本政府を挑発するために東京で大量殺人テロを繰り返し、それを取り締まろうと自衛隊が出動したが逆に自衛隊が敗退してしまい某宗教団体が日本を支配してしまった、というようなことでしょうか。
倒幕のためには手段を選ばない薩長は、テロだけでなく天皇さえ利用するその柔軟性には驚くべきものがありました。最後は軍事力を持ち、それを行使することをためらわない勢力が勝つということを歴史が教えているのでしょう。原田さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・テロ行為の一部を、敢えて列挙しておきましょう。
・桜田門外で水戸脱藩のテロリストと薩摩藩士に暗殺された大老井伊直弼の彦根藩ゆかりの者の暗殺(長野主膳の家族など)
・同じく彦根藩ゆかりの村山可寿江の生き晒し
・京都町奉行所与力やその配下の暗殺(賀川肇など)
・幕府に協力的とみた商人への略奪、放火、無差別殺人
・佐幕派とみた公家の家臣たちの暗殺(あまりに多数・・
・学者の暗殺(儒学者池内大学など)
・その他、仲間内でハクをつけるための無差別殺人(p155)
・長州テロリストは、口を開けば「攘夷!」「攘夷!」と喚(わめ)きましたが、条約締結から既に10年近く経っており、彼らのいう外交人排斥が如何に現実離れした暴論であるかを認識しておく必要があります。恐らく、テロの主導メンバーもそれは分かっていたはずです(p158)
・高杉の「奇兵隊」・・実態は「ならず者」集団に近かったのです。百姓は勿論含まれてはいましたが、犯罪者、元犯罪者など、要は「宗門人別改帳」から外された暴れ者(戸籍のないヤクザのようなもの)が多かったのです・・・奇兵隊には、入隊しても犯罪を犯す者が多発し、高杉は、「盗みを為す者は殺す」という触れを出しています(p160)
・明治3(1870)年、薩摩、長州、土佐三藩が兵を差し出し、「御親兵」が成立しました。これを主導したのが西郷です・・・「廃藩置県」が断行できたのも、新政府が八千人にこの軍事力をもっていたからです。御親兵は、明治5(1872)年に「近衛兵」とその名を変えましたが、一貫して中核を担っていたのは薩摩兵でした(p221)
▼引用は、この本からです。
原田 伊織、SBクリエイティブ
【私の評価】★★★★☆(85点)
目次
序章 歴史の検証を阻む薩長史観
第一章 黒船来航の舞台裏
第二章 勝海舟という虚像
第三章 戊辰戦争という奇妙な戦
第四章 明治政府の腐敗と「西南の役」
終章 軍国日本を創った明治維新
著者経歴
原田伊織(はらだ おおり)・・・作家。京都伏見生まれ。大阪外国語大学卒。広告代理店に就職。独立後、プランナー、コピーライター、編集ライターとして活動。株式会社SICクリエイティブディレクター。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加。株式会社Jプロジェクト代表取締役。2005年私小説『夏が逝く瞬間』(河出書房新社)で作家デビュー
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