「ハドリアヌス帝の回想」マルグリット・ユルスナール
2019/12/20公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(82点)
要約と感想レビュー
賢帝ハドリアヌスの歴史小説
ローマ帝国の領土が最大となった頃の賢帝ハドリアヌスが、自分の生涯を回想する形をとった歴史小説です。先帝のトラヤヌス帝の拡大政策でローマ帝国の領土は最大となっており、ローマは平和を欲していました。
ローマ帝国の中でも主戦論者と慎重派との権力闘争があったことがわかります。ハドリアヌスは平和を現実化するために権力を欲したのです。そして、ハドリアヌスが皇帝として前線へ視察に行っていたのは、この平和を実現する軍隊を鼓舞するためだったのです。
私は権力を欲していた。自分の計画を実行し、事態を救うべき対策を試み、平和を回復するために、権力を欲していた(p96)
ハドリアヌスはスペイン出身
ハドリアヌスはスペイン出身ながら、ギリシャ文化を愛し、読書を愛していたことがわかります。そしてローマ領土内を視察して廻り、前線の兵士を鼓舞し、防御設備を改善し、新しい都市を作っています。
皇帝がいなくてもローマ帝国は法律と官僚によって運営されており、法治国家であったことがわかります。現代社会の基礎が古代ローマで確立されていたということなのでしょう。ハドリアヌス自身も、凡庸な皇帝であってもよく組織された官僚の仕事によって、危機的な時代を乗り越えられるだろうとしています。
わたしはパルミラの商業法規の改訂を終えたばかりだが、淫売婦の価格から商隊の入国税にいたるまであらゆることがその法規で規定されている(p300)
貧富の差という問題
「テルマエ・ロマエ」のハドリアヌスだ!とワクワクして読みました。後継者として期待された女ったらしのルキウスは、肺の病で亡くなります。
ハドリアヌスは、貧富の差という問題を提起し、ローマ市民が富や権力を欲し、成功するために貪欲であることを指摘しています。ローマについてはもう少し学んできたいと思います。ユルスナールさん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・わたしは人間存在を評価するのに三つの手段しかもっていない。すなわち第一に、もっとも困難かつ危険なものだが、もっとも実り多い方法である自己自身の研究。第二に、他人を観察すること・・・第三に書物(p28)
・カエサルが、ローマで第二の地位を得るよりは寒村で第一位であるほうがよい、といったのはもっともなことだった。それは野心からでもなく、空しい栄誉を欲するからでもなく、第二番目の地位にある者は、服従か反逆かあるいはもっとも深刻なものである妥協か、この三つの危険のいずれかを選ぶしか術(すべ)がないからである(p90)
・道徳は私的な慣例であり、礼儀は公の関心事である・・・わたしはほとんど絶え間ない刃傷沙汰の原因である混浴を禁止し・・(p118)
・もはやローマの内にローマはない。ローマは滅びるか、さもなければ世界の半分と等しいものになるか、いずれかである・・・都市が<国家>になったのである。能(あと)うべくんばわたしは<国家>がさらに拡大して世界の秩序、万象の秩序そのものになることを望みたかった(p124)
・カブリアスは、いつの日か、ミトラ教の高僧か、またはキリスト教の司教がローマに勢力をのばして、大祭司にとってかわるのではないかと心配している(p310)
【私の評価】★★★★☆(82点)
目次
さまよえる いとおしき魂
多様 多種 多形
ゆるぎなき大地
黄金時代
厳しい修練
忍耐
著者経歴
マルグリット・ユルスナール (Marguerite Yourcenar)・・・1903年ベルギー、ブリュッセルで、フランス貴族の末裔である父とベルギー名門出身の母との間に生まれる。本名マルグリット・ド・クレイヤンクール。幼くして母を失い、博識な父の指導のもと、もっぱら個人教授によって深い古典の素養を身につける。1951年に本書で、内外の批評家の絶賛をうけフェミナ賞受賞。女性初のアカデミー・フランセーズ会員。1987年死去。
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