「「大奥の謎」を解く 江戸城の迷宮」中江 克己
2019/02/22公開 更新

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【私の評価】★★★☆☆(75点)
■天皇陛下のお世継ぎ問題と同じように
江戸時代の徳川将軍のお世継ぎも
大きな課題だったようです。
現代とはちがって
江戸時代は平均寿命も短く
病気で簡単に亡くなってしまう。
徳川将軍の継嗣(けいし)を
安定的に多量に供給する仕組みが
大奥だったのでしょう。
・大奥がなかったとはいえ、家康は生涯に
二人の正室(築山殿(つきやまどの)、
旭姫(あさひひめ)のほか、
十五人の側室をかかえ、
11男5女をもうけている(p19)
■驚いたのは、
将軍の夜の営みが大奥の女性たちによって
監視されていたということです。
将軍と相手の女性用の床の
左右に別の床があり、
そこに女性が横になっている。
さらに隣の部屋には
襖(ふすま)を開けたままで、
御年寄と御清(おきよ)という女性が
控えていたという。
普通の人なら
なえてしまいそうですね。
・将軍の右側に相手をする女性が横たわるが、
さらにその左右に一組ずづ、別の床が
のべられていたのである。将軍の左側には
御添寝(おそいね)の御中﨟(おちゅうろう)、
同衾(どうきん)する女性の横には御坊主が寝るのだ。
つまり、将軍をはさんで三人の女たちが川の字に、
横になるのだった。御添寝の御中﨟も御坊主も、
将軍に背を向けているのが決まり・・(p158)
■お世継ぎという考え方は
今の時代に合わないのかもしれませんが、
逆にそうだからこそ続けることに
意味があるのかもしれません。
天皇家もお世継ぎに困らないよう
何らかの対応が必要なのかもしれません。
中江さん
良い本をありがとうございました。
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■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・将軍が大奥へ渡り、御台所(みだいどころ)か
側室と一夜をともにすることを
「奥泊り」と称した・・・
将軍が奥泊りをしようと思えば、あらかじめ
昼のうちに小姓から納戸役を通じ、大奥へ
連絡しておく必要があった(p153)
・大奥に住む女性は御台所をはじめ、側室、
奥女中など最盛期には600人から千人くらいがいた。
将軍はそのなかから気に入った女性を
指名することができた(p153)
・将軍付御中﨟(おちゅうろう)には拒否権はなかったが、
それ以外の奥女中の場合、拒むことができたのである・・
お妙のように、将軍のお召しを断る女性もいた。
しかし、多くは素直にしたがったし、
御中藤は喜んで将軍を迎えた(p154)
・大奥や大名家の奥向(おくむき)に奉公した女は、
教養や気品を身につけていたから、庶民には
高嶺の花と思われたし、良家から「ぜひ嫁に」
と、引く手あまただったという(p228)
・例外があって、
大奥へ入ることのできた男たちがいた・・・
御三家や奥医師などは、この御錠口
(おじょうぐち)から大奥御殿へ
入ることが許された(p256)
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【私の評価】★★★☆☆(75点)
■目次
第1章 大奥誕生の謎
第2章 女たちの暮らしの謎
第3章 側室と「玉の輿」の謎
第4章 大奥事件の謎
第5章 女の花園の謎