「文部大臣は何をしたか―私の目で捉えた戦後教育史」槇枝 元文
2019/01/27公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★☆☆☆(65点)
要約と感想レビュー
ミスター日教組と言われた著者が、自分の活動をまとめた一冊です。「日教組は何をしたか」とタイトルを変えるべきでしょう。歴史の結果を知っている人にとっては、共産党、社会党を支持してきた日教組は、一つの工作機関であったといえるのでしょう。
日米安保、自衛隊反対、米軍基地反対、安田講堂事件も、すべて共産勢力に合わせた運動をしていいます。公務員の政治活動、勤労評定、全国統一テスト、主任制導入などことごとく反対しています。その結果、何人の校長先生が自殺に追い込まれたのでしょうか。
例えば、高度経済成長時代には日教組は、テストは誤った能力主義による差別・選別を教育現場にもちこむものだとして、「人材発掘に名をかりた非教育的なテストに反対」してきたというのです。
・主任制度化阻止のため午後反日スト・・・大海では「主任制度化・手当支給の意図は本来学校運営上、自主的、民主的に決定すべき校務分掌を任命制とし、文部省令による教育委員会-校長-教頭-主任-その他教員・職員という上命下服の教育体制をつくり上げ、政治権力による教育の支配体制をはかるものである」との「非常事態宣言」を採択した(p225)
1961年、日教組は「社会党支持」を決定し、組織内の社会党員党友協議会を発足したという。
また著者は日教組の会長として演説の中で、日本の教科書の内容が、朝鮮が日本の植民地であった時代に起こった朝鮮人民の民族独立の運動を単なる暴動と書きかえさせたり、また、第二次大戦中、朝鮮人民を日本本土に強制連行して、強制労働に従事させた事実を朝鮮人民の自発的、積極的協力行為であるがごとく表現させたり、幾つもの歴史の改ざんが行われていると主張したという。朝鮮人の強制連行などなかったをわかっている今となっては、日教組が逆に歴史を改ざんしようとしたことがわかります。
このように日教組は、戦争反対、平和主義、平等主義を隠れ蓑に、中国・韓国政府、朝日新聞・毎日新聞といったマスコミと連動して工作活動をしてきたのです。その後、社会党連立政権、民主党政権ができた頃が、日教組勢力の工作活動の最大の成果だったのでしょう。
中国、韓国、ロシア政府からは日教組は素晴らしい組織と表彰されるのではないでしょうか。槙枝さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・戦前は、軍閥と財閥と官僚が結びついた国家権力が、領土の拡張、つまり侵略政策を国是としたとき国民に国家主義、軍国主義教育を徹底することによって国民に侵略戦争を正義の戦いと思いこませ、あのいまわしい太平洋戦争に協力する国民をつくりあげたのである。この過ちを二度と犯すまいとしたのが戦後の教育である(p40)
・日教組は51年1月の中央委員会で「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを掲げ、全面講和の運動に入る。「英米のみとの単独講和は米ソ冷戦の時代に戦争を招く危険があるからだ」というのがその理由で、全面講和、中立堅持、再軍備反対の平和三原則をもっとも早く打ち出したのも日教組であった(p75)
・1952(昭和27)年・・・たしかにそのころの日教組の集票力は大きかった。「先生のいうことだから」という父母が多かった時代のことである。総評のなかでも「選挙に強い日教組」といわれていた(p89)
・愛知県知事部局は財政赤字を理由に教職員の定期昇給が全員にできないから、「勤務評定を実施して、昇給させる者とさせない者との振り分けたい」と教育委員会に提起した・・この57年の後半には勤務評定反対闘争(勤評闘争)が日教組にとって最大の課題になる(p125)
・日教組は6月2日、「大学運営臨時措置法案粉砕中央総決起集会」を文京公会堂でひらき、この集会を契機に総評、日教組、国民文化会議、護憲連合を発起団体に「大学弾圧法案反対のための国民連合」が発足、反対闘争は拡大していった(p176)
・私は思う。自民党はとんだ種を貰って教科書の偏向を打ち鳴らしていたから、逆に真の教科書の偏向が中国や韓国から指摘される結果になったんだと(p245)
・私は「著書を読んでくれたのはありがたいが」と前置きして・・「敵がい心をあおるような教科書をつくるのではなく、北方領土に対する日本の主張、ソ連の主張を正しく記述するなら、それは事実として否定するものではない」と指摘・・(p248)
・私はまず、検閲にひとしい文部省の教科書検定のあり方を批判し、とくに高校『日本史』の教科書検定で、日本軍の「侵略」を「進出」としたり、「南京大虐殺」の史実を削除して隠蔽したり、朝鮮の独立運動を「暴動」などと書きかえさせたことなどは、事実に反するものだと思わないかと指摘した(p249)
毎日新聞社
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【私の評価】★★☆☆☆(65点)
著者経歴
槙枝 元文(まきえだ もとふみ)・・・1921年-2010年。日本の教育者、労働運動家。日本教職員組合委員長、日本労働組合総評議会(総評)議長を務めた。計30年に渡って日教組の中央役員を務めて大きな影響力を持ったことからミスター日教組とも呼ばれた[2]。子息の槙枝一臣は弁護士。
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