「竹島密約」ロー ダニエル
2019/01/03公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(82点)
■竹島の歴史について
よく知らないことに気づいて
手にした一冊です。
ソウル生まれ、日米中韓の大学で
政治を研究した著者が
竹島の歴史を調査したものです。
記録・資料だけでなく
河野一郎の番記者だった渡部氏、
当時日韓首脳のメッセンジャー金氏
読売新聞特派員の嶋元氏などの
証言を集めています。
竹島密約の有無について証拠は
ありませんが、歴史の背景を
つかむには十分な内容でしょう。
・いわゆる「竹島密約」とは、1965年6月に
「日韓基本条約」が正式に締結される5ヶ月前、
河野一郎国務大臣と丁一権(ジョンイルクオン)
国務総理のあいだで結ばれた秘密の取り決めを指す。
端的に言えば、国交正常化のために領土紛争を
永久に「棚上げ」する、「未解決の解決」を
主な中身とするものだ(p13)
■韓国と日本との歴史は
韓国の脅しと日本の妥協の
連続だとわかります。
韓国は李承晩ラインを勝手に引き、
日本の漁民を殺し、拿捕した漁民と引き換えに
日本の対韓請求権を放棄させる。
日本に対韓請求権を放棄させるだけでなく、
逆に韓国の対日請求権として
金を請求する。
韓国側は約束を守るつもりはないのですから、
結局は金をもらったものの勝ちなのです。
・1964年の初め・・正月、朴泰俊は
(朴正煕)大統領の呼び出しを受けた。
「夕食への招待」であった・・大統領は
朴に次のように語ったと伝えられる・・
日韓交渉については政治資金へ横流ししている
とか屈辱的であるとか、批判や反対が多いが・・
たとえ屈辱的な面があっても、われわれが
この機会を生かしていかなければ、永遠に
倭(日本)の人間から屈辱を受けることになろう。
私は、政治生命をかけてこの仕事を推進する
決心であるから、君もそういう心構えで
仕事をやってほしい(p167)
■朴正煕大統領が朴泰俊に語ったことが
正しいとすれば、韓国は戦略的に
日本から金を引き出していることがわかります。
大統領は、屈辱的ではあるが
貧乏な韓国は対日請求権として
日本から金をもらうしかない。
しかし、この金を使って、
いつか経済的な立場を逆にして
日本に屈辱的な仕返ししよう、
ということです。
そしてその考えを
現実化しようという努力が、
今も続いているのでしょう。
同じ国だった韓国には
豊かな国になってほしいと
善意で金をだした日本人は
誠にお人好しの甘ちゃんであり、
それは今も同じなのでしょう。
ダニエルさん
良い本をありがとうございました。
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■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・1954年に入ると、竹島をめぐって実力行使を
伴う紛糾が起き、8月23日には・・独島守備隊が
海上保安庁の巡視船に銃撃を加える事態となった。
その後、1955年8月には韓国政府が日本との
人的交流と貿易を禁止する「日韓断交」を
宣布するにいたった(p38)
・岸総理は、就任一ヶ月後には駐日韓国公使
金溶植を呼んで韓国美術品の返還を約束し、
3月29日には、日本の対韓請求権の放棄と、
1905年に日本が朝鮮の外交権を奪った
第二次日韓協約の無効を宣言した・・・
両国が抑留していた漁師と密入国者を
釈放するという合意にいたった。
これによって、日韓会談はようやく
1958年4月に再開することになる(p42)
・朴将軍が初めて東京を訪れた直後、
前尾繁三郎自民党幹事長は
「日本国民は36年間にわたる韓国支配を
『強制占領』と考えていないのであり、
したがって賠償すべき『請求権』は
存在しない」とし、・・結局、
「日本国民が納得できる方法」として
「経済協力」という形に落着した(p75)
・朴自身が東京での池田との会談で
「日本が請求権問題に誠意を見せるのであれば、
韓国は平和線(李承晩ライン)問題に柔軟に
対応する」という意思を明言した(p116)
・渡部(亮次郎NHK)「(河野は)わが国は、
世界各国と外交関係を結んで来たが、そのなかには
いわゆる戦後の賠償問題もある・・・
その国が貧乏になろうが、金持ちになろうが、
わが国のあずかり知らぬところである。
これに反して、韓国国民はもとはひとつの
国民ではなかったか・・したがって、韓国は
がわ国がいったん協力に乗りだした以上、
貧乏になってもらっては困るんだ」(p155)
・野党政治家として半生を送った金泳三大統領は、
具体的な政策より抽象的なレトリックと
ポピュリズムを武器とした・・・
おおやけの場では「倭(日本)の奴らの
悪い行儀を直してあげる」と大言した・・
彼は「わが領土独島」に新しい接岸施設を作ったり、
その海域で海軍に機動訓練を実施させた(p248)
・竹島密約は軍事政権下では守られたが、
金泳三大統領はその存在すら
前任者から引き継いでいなかった。
竹島密約は、二つの意味で失われた。
一つは・・「紙の喪失」・・竹島密約を生み出した
「精神の喪失」である(p236)
・2008年の夏・・日本の文部科学省が
新学習指導要領の中学社会科の解説書に、
竹島を日韓の領土問題として明記したことが
発端であった。韓国側はこれに猛烈に反発し、
駐日大使を三週間も「一時帰国」させる措置をとった・・・
韓国政府は、7月30日に、海軍、海洋警察、空軍の
「独島防御共同訓練」を実施した。
この騒動によって竹島密約は再び
「破られた約束」になったわけである(p255)
・「永遠に秘密に」すると約束していた
竹島密約については、河野を含む当事者全員が
一文字も記録を残していない。また、
河野は竹島密約が成立してから数か月のうちに
死去したから、回顧録を残す余裕もなかった(p181)
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【私の評価】★★★★☆(82点)
■目次
プロローグ 「未解決の解決」はなぜ成立したのか
第1章 暗中模索の時代
第2章 叔父と甥の対日外交
第3章 新しい日韓ロビー
第4章 竹島密約
第5章 二つの喪失
エピローグ 先人の「知恵」をいかにして受け継ぐか