「コンテナ物語―世界を変えたのは「箱」の発明だった」マルク・レビンソン
2017/06/16公開 更新本のソムリエ [PR]
Tweet
【私の評価】★★★★☆(88点)
要約と感想レビュー
今では世界の流通の常識となったコンテナ輸送。もとはアメリカのマクリーン運送が船でトラックを輸送しようというアイデアから、タイヤを取って箱にしてしまったのがスタートです。当時は、船の甲板にコンテナを載せていました。
トラック・鉄道→港→クレーン→船といった一連の流れをコンテナで実現しようとしたのです。
・マルコム・マクリーンがすぐれて先見的だったのは、海運業とは船を運航する産業ではなく貨物を運ぶ産業だと見抜いたことである(p80)
コンテナ輸送の拡大は、既存の勢力との闘いでした。主は抵抗勢力は、仕事の変化に抵抗する労働組合。規格の統一に反対する同業者。変化を邪魔する規制。
既得権をもったそれら抵抗勢力との戦いを続けながら、コンテナ輸送は世界のスタンダードになったのです。
・組合の名前は国際港湾倉庫労働者組合(ILWU)という・・ILWUの内部ではひどく硬直的な「現場ルール」が作られ・・正式なものの一つは、「一番ハッチに割り当てられた作業員は、その船が出港するまで、それ以外の仕事に就けない」(p151)
コンテナ輸送が実現したのは、低価格の輸送でした。変革の道は、いつも厳しいのだと教えてくれました。
レビンソンさん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・40フィート(12m)・コンテナ3000個、つまり医療品や家電10万トン分を積み込んだコンテナ船は香港から喜望峰回りでドイツまで三週間で航行するが、これを動かす人員はたったの20人(p16)
・シーランドの35フィート・コンテナとマトソン海運の24フィート・コンテナは、いずれも規格外であるうえ高さも8フィート6インチである。これが、1965年の時点でアメリカの船会社が保有するコンテナの3分の2を占めていた(p194)
・50年代になると、トラックが陸運の主役に躍り出る。一般道が整備され、高速道路網も建設された・・ハイウェイを40フィート・トレーラーで運べるようになると、輸送効率は俄然向上する(p204)
・シンガポールは、コンテナ港として東南アジアのハブ港になるという明確な戦略を打ち出す。世銀から総工費の半分に当たる1500万ドルの融資を受けると、1967年からさっそくターミナル建設が始まった(p274)
・コンテナ輸送サービスというものは、スタートするその瞬間から大規模にやらねばならない。貨物を求めてあちこちの港に立ち寄りなんとか儲けを出していた在来船とは、わけがちがうのである。巨額の資本を一気に投じて十分な数の船とコンテナをそろえ、大型港を結ぶ定期航路に高頻度のサービスを実現しないと勝ち目はない(p288)
・大手は、自社船で、あるいは他社船のスペースを借りてでも、あらゆる主要航路に参入しようとする。貨物が多いほど固定費を分散できるからだ(p302)
この記事が参考になったと思った方は、
クリックをお願いいたします。
↓ ↓ ↓
人気ブログランキングへ
▼引用は、この本からです。
日経BP社
売り上げランキング: 7,478
【私の評価】★★★★☆(88点)
目次
最初の航海
埠頭
トラック野郎
システム
ニューヨーク対ニュージャージー
労働組合
規格
飛躍
ベトナム
港湾
浮沈
巨大化
荷主
コンテナの未来
コメントする