「琉球処分―探訪人・大湾朝功」渡久山 寛三
2012/09/16公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(70点)
要約と感想レビュー
尖閣諸島に関連して、中国が沖縄も領土と主張しているとのことで、手にした一冊です。あまり主観的表現がなく、歴史小説というよりも、物語形式の歴史の教科書のようです。
1871年(明治4年)、明治政府は廃藩置県を断行。続いて1872年(明治5年)、琉球王国を琉球藩とします。(琉球側は形だけの変更と安易に理解していたようです)
当時の日本は、明治5年に学制令、明治6年に徴兵制、明治6年に地租改正、といった大改革を次々に実施しています。こうした改革により、日本国内には失業した武士、負担の増えた農民など不満が増大したという。
・「徴兵令」布告一年前の明治五年に「学制令」が発布・・「村に不学の家なし」の郷里区理想のもと、義務教育制をとる・・・教育制と徴兵制は、「御一新」のシンボル(p32)
そうした中、明治4年、台湾で難破した琉球人を山地族が殺害するという事件が発生し、この対応として日本は明治7年、台湾に軍を派遣します。(一つのガス抜きという面もあったようです。)
清国は台湾から日本軍を撤退させる条件として、清国は賠償金を日本に支払い、琉球人保護という出兵の理由を正当化しました。つまり、琉球は日本であると清国が認めたことになったのです。
・大久保は、局面の大転換を迅速にはかることにした。その決断とは、台湾山地族の討伐である。国内の不平・不満を外に向けることである。(p40)
それにより明治8年、日本は琉球に清国への朝貢の廃止を命令。琉球では、清国の介入を信じて引き伸ばし作戦をとりますが、清国には軍を派遣する力はありませんでした。そして、明治12年、首里城明け渡しが行われ、琉球処分が実施されたのです。
・琉球は南海の小王国であった故、今日まで武力を備えず、専ら口舌をもって外交の衝にあたって参りました・・・(p49)
あっけない琉球王国の消滅に、チベットのような武力の背景を持たない国の寂しさを感じました。そして、国内に問題のある国は、国外で軍事行動することで不平・不満を外に向けようとすること。
今度は、中国が日本と同じように、力による尖閣処分を行うのかもしれません。渡久山さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・琉球国の清国への朝貢は二年に一回と定められているが、永年の期間、今日にいたるまで一回も絶えたことはない・・・ほしいままに法制の変更を強制するならば、外務卿閣下よ。当清国に対し、また琉球国に対し、侵略行為を行うことになるのではないか(p208)
・心中ひそかに、「わが王国は既に滅亡した。国王は東京に連れ去られた。今後、何んぞ日本に忠誠を尽くす必要ありや)とつぶやき、面従腹背の心を強めるのであった(p316)
【私の評価】★★★☆☆(70点)
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