「帝国ホテル厨房物語」村上 信夫
2008/03/26公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(82点)
■尋常小学校を卒業した十二歳の村上青年は、
腕の立つコックになろうと決意しました。
そして、喫茶店の小僧として働き始めます。
先輩の見よう見まねで料理作りのコツを
学んでいきました。
・見せには休憩時間がなく、開店中は休まず働く。・・・
無理して頑張っていたわけではない。
料理を覚えたい、一人前んありたいという
向上心が体中にめらめらと燃え上がっていた。
何より、仕事が面白くて仕方がなかった。(p41)
■頑張りが認められ、喫茶店の料理長に推薦されたのが、
当時、フランス料理の先端を走る帝国ホテルです。
帝国ホテルの調理場に配属された村上氏は、
洗い場に回されました。
■ここでは「鍋屋」と呼ばれるくらい
汚れた鍋洗いが重労働でした。
村上氏は鍋を洗いながらソースの味を覚えるつもりでしたが、
コックは塩やせっけんを入れてから洗い場に鍋をよこすのです。
これでは味はわかりません。
■村上氏は、鍋を徹底的に磨き始めました。
当時の鍋は内側はきれいでしたが、
外側は汚れがついたものが多かったのです。
村上氏は、鍋の外側を時間をかけて磨きこみました。
そして、だんだんとピカピカな鍋が増えてきました。
すると不思議なことに、
スープが残った鍋が返ってくるように
なってきたのです。
・「おまえには料理人の心がわかっている」と、
ぼそっとほめてくれる親方もいた。
必死の行動が先輩たちに伝わったのだ。
うれしかった(p58)
■一流のコックになろうとした村上氏と、
その決意が行動となったとき、人は助けてくれる。
そうした人の世の仕組みがわかるような一冊でした。
一流の人の人生には何か共通したものがある・・・
と思いながら★4つとしました。
■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・転進のきっかけは、いつも人の縁だった。
「ここがいいぞ」と勧められ、
「こいつは骨惜しみしないやつだから」と
推薦してくれた。(p49)
・若い料理人に与える言葉は何か、とよく聞かれるが、
私は何よりもまず、「欲を持て」と言うことにしている。
そして、もう一つの助言は、「急ぐな」である・・・
最も大事なのは基本である。(p203)
・異例の抜擢人事で新館料理長に就任したものの、
若い料理長のやることには反発も強く、
ずぶとい神経を持つ私もさすがにこたえた。
その一方で、腹をくくってもいた。
先輩に礼を尽くし、立てるところは立てながら、
必要なことは果断に実行していった(p141)
▼引用は、この本からです。
日本経済新聞社
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骨惜しみしないということの美学
日本史のフルコース
一流の職人とは
とにかくエネルギッシュです
【私の評価】★★★★☆(82点)
■著者経歴・・・村上 信夫(むらかみ のぶお)
1921年生まれ。12歳でブラジルコーヒーに入り、
銀座つばさグリル、新橋第一ホテルなどを経て、
1939年帝国ホテル見習い。
その後、パリのホテル・リッツなどで腕を磨く。
1958年帰国し、帝国ホテル新館料理長。
1970年取締役総料理長。
1996年専務取締役を退任して料理顧問。
2005年没。
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