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【書評】あなたはそのままでいい「座らぬ禅」ひろさちや

2025/05/05公開 更新
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「座らぬ禅」ひろさちや


【私の評価】★★★★☆(83点)


要約と感想レビュー


阿保と馬鹿の違い

この本はいきなり「禅とは何か?」という問いから、はじまります。その答えは、禅とは「阿保になれ!馬鹿になるな!」であるという。阿保と馬鹿の違いは、どこにあるのでしょうか。


その分かりやすい事例は、ひろさちやさんの知人の禅僧のお話です。知人の禅僧の高校生の息子が、飲酒を見つかり、一週間の登校停止になりました。処分を聞いた父親の禅僧は、「俺も一週間仕事を休む」ことにしたという。


著者が「一週間、どうしていたのですか?」と質問したら、禅僧は「一緒に酒を飲んでいた」と答えたというのです。普通の親なら、子どもが謹慎処分を受けたら、子どもを怒るでしょう。


しかし、禅の考え方では、処分は「世間の物差し」で判断されたもの。阿保は「世間の物差し」では考えないのです。つまり、世間の物差しばかりで人を裁くような人は、「馬鹿」だというわけです。


阿保は「世間の物差し」ではなく、自分の物差しを持っているのです。世間から見れば阿保かもしれませんが、他人からの評価がどれだけのものかということです。


いつもそうした世間の物差し(分別)ばかりを振り回している人が馬鹿なんです(p22)

あなたはそのままでいい

同じように、わが子が不登校になった場合、わが子をなんとか学校に行かせようとするのが馬鹿となります。無理に子どもを学校に行かせようとすれば、子どもはますます抵抗して、最悪、自殺というケースもあるのです。


もし親が阿保だったら、不登校になった子どもに、「学校に行きたくないのか。お父さんだって会社に行きたくないこともある。今日はお父さんも会社を休むから、二人でのんびり散歩にでも行こう」と言うだろうと、著者は語るのです。


ひろさちやさんにも、同じような経験があります。講演会のあと、一人の青年が「先生、ぼくは引きこもりなんです。どうしたらいいでしょうか?」と質問してきました。ひろさちやさんは、「きみね、せっかく引きこもりになったのだろう。じゃあ、もうしばらく引きこもりを続けてみたら」と答えたというのです。


このように阿保というのは、あまり考えず、そのままを楽しむ楽天家のように見えます。病気になったときに悩むのが馬鹿で、病気になっても、それなにり毎日を楽しく過ごすのが阿保なのです。


「南無そのまんま・そのまんま」とお唱えなさいと教えました。これは「あなたはそのままでいいんだよ」といった意味です(p33)

人は観世音菩薩、この世は遊びの世界

仏教や禅の教えは、現代の成功哲学に近いものがあるように感じました。


例えば、悩みに対して成功哲学では「過去や未来に悩まされず、今、やれることに集中する」ことが基本です。仏教では釈尊が「中部経典」の中で、「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。未来はまだやって来ない。だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践すべし」と言っているのです。


成功哲学では、なんでもゲーム化するのが、努力を続けるコツです。「法華経」(妙法蓮華経)の25章の「観世音菩薩普門品」には、観世音菩薩が33身に変身してこの世に遊びに来られておられると書いてあります。


人間は男も女も、おとなも子どもも、みんな観音菩薩であり、遊びにこの世に来ているというのが法華経の世界観なのです。だからこそ、良寛さんは子どもたちと遊んだのだろうと、著者は推察しているのです。


ただ今日なすべきことを熱心になせ。誰か明日の死のあることを知らん(p82)

腹がへれば飯を食い、疲れたら眠る

著者が読んだ鈴木大拙の本に「腹が減ったら飯を食い、眠くなったら眠る。それが禅だ」と書いてあったそうですが、大元は大珠慧海(だいじゅえかい)の「頓悟要門」に「腹がへれば飯を食い、疲れたら眠る」との記載があったという。


このように禅問答といって、人を食ったような話が多い禅ですが、阿保になるためには、「このままでいいのだ」と考えることが大切なのだと感じました。バカボンのパパの「これでいいのだ!」は阿保の典型で、素晴らしい!というわけです。


現状が貧乏だとして、それを否定して金持ちになろうと努力するのは馬鹿で、阿保は貧乏のままでも毎日、幸せです。幸せと金持ちになるのは別物で、阿保は幸せのうちに、金持ちにもなりえるのです。


ひろさちやさん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言


・「日日是れ好日」・・「好日」というのは、嬉しいときは喜び、悲しいときはしっかりと泣くことです。悲しいときに笑顔を見せるのは馬鹿です。悲しいときにわんわんと泣けるのが阿呆です。そして禅は、馬鹿になるな!阿保になれ!と教えています(p204)


・道元禅師が説いて言われた。「仏道を学ぶ人は、まず貧しくなければならぬ。財物が多いと、きっと志が失われる・・財宝を捨ててはじめて善人と言われるのだ・・」(「正法眼蔵随聞記」)(p86)


・仏道を学ぶということは、自己を学ぶことだ。自己を学ぶというのは、自己を忘れること。(仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというふは、自己をわするるなり)『正法眼蔵』「現成公案」(p138)


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ひろさちや (著)、佼成出版社


【私の評価】★★★★☆(83点)


目次


第1部 禅仏教とは何か?
第2部 禅僧列伝
第3部 終りと始め


著者経歴


ひろさちや(ひろさちや)・・・1936年、大阪市に生まれる。東京大学文学部印度哲学科卒業、同大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程修了。1965年から20年間、気象大学校教授をつとめる。退職後、仏教の解説書から、仏教的な生き方を綴るエッセイまで幅広く執筆するとともに、全国各地で講演活動をおこなう。2022年(令和4年)、逝去。


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