「帝国海軍の航跡―父祖たちの証言」久野潤
2020/08/09公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(73点)
要約と感想レビュー
戦略から作戦レベルでの日本軍の失敗
太平洋戦争から75年が経ち、あの戦争を直接経験した人が減ってきています。日本帝国海軍人での証言を残すために歴史を振り返り、当時の帝国海軍で働いた人の証言を集めています。
戦略レベルで見れば、アメリカと戦い、世界を敵に回すのは自殺行為でした。戦術レベルで見れば、戦艦による決戦から航空機と潜水艦による攻撃の可能性を実証したのは日本でしたが、それを 学習し、活用したのはアメリカでした。
作戦レベルで言えば、敵機情報から攻撃機の兵装を陸用爆弾から艦船攻撃用の魚雷に変えたり戻したりして敵の攻撃を受けてしまうような判断をしてしまうような人が、空母を中心とする機動部隊の司令官でした。技術レベルで言えば、初期のゼロ戦を除けば暗号解読技術、レーダーや近接信管、核兵器などアメリカの技術力が上だったのは明らかだったのです。
アメリカ側はすでに、対空レーダーやVT信管(近接信管)を活用していた。VT信管は一定範囲内に目標が入れば自動的に検知して砲弾を起爆させる信管で、直接命中しなくとも目標にダメージを与えるものである。また空母に設置された戦闘情報センターを運用することで対空防御力を飛躍的に向上させていた(p145)
反省しない南雲忠一司令官
ミッドウェー作戦に出撃予定の駆逐艦「嵐」で水雷長を務めていた谷川清澄氏の証言では、出撃前に市民から「海軍さん、次はミッドウェーらしいですね、またがんばって下さい』と言われたという。アメリカが日本側のミッドウェー作戦の具体的な内容を傍受・解読したのは1943年5月26日頃であるとされていますが、そもそも秘密が守られていなかったのです。
また、ミッドウェーで何度も兵装の換装を指示した南雲忠一司令官は、前年1942年4月のセイロン島北部トリンコマリー軍港の空襲作戦においても、同じように空母艦上の攻撃機の兵装を陸用爆弾から魚雷に転換するよう命令し、その最中にイギリス爆撃機隊の奇襲を受けています。幸いイギリスの攻撃は失敗しましたが、南雲忠一司令官は反省しない人だったのです。
さらに、アメリカがレーダーで敵を索敵していたのに対し、日本は初めて試作されたレーダーを装備した戦艦「伊勢」「日向」は、主戦場ミッドウェーではなく、陽動作戦のアリューシャンに出撃させているのです。
「翔鶴」のみならず、艦載航空機・搭乗員の損害の多さを理由に「瑞鶴」もミッドウェー作戦への参加が見送られたのはアメリカ側と好対照であった・・・この頃、日本で初めて試作された電探(レーダー)が戦艦「伊勢」「日向」に装備されたが、両艦の出撃先は主戦場ミッドウェーではなくアリューシャンであった(p89)
日本が勝っていたのは精神力
すべてのレベルで日本はアメリカに負けていたように感じます。日本が勝っていたのは個人個人の精神力くらいでしょうか。
日本人はまじめて優秀なのですが、その潜在力を活かしたいものです。久野さん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・第一次世界大戦終結後に、我が国は国家予算の三分の一を割いて、戦艦8隻/巡洋戦艦8隻の建造を中心に再び海軍大増強を目指す「88艦隊」を計画。1920年にはその一番手として世界で初めて41インチ主砲を搭載した戦艦「長門」(3万5000トン)、ついて同型艦「陸奥」を完成させた(p28)
・開戦からわずか三日間で、戦艦が一発も撃つことなくして、米英の戦艦を多数撃沈・撃破してしまった帝国海軍。海上を動きまわる複数の敵艦を、しかも最も装甲の硬い戦艦を、航空機による攻撃だけで沈めたことは世界を驚嘆させた(p63)
・インパール作戦には、大東亜会議に出席した自由インド政府のインド国民軍約6000人が参戦していた・・・戦局的劣勢の中インドに進攻することで、大東亜共同宣言が単なる建前のお題目ではなかったことが示されたのである。戦死者2万6000名/戦病者3万名という多大な犠牲を払ってインドの信頼を勝ち得たインパール作戦・・・(p143)
・レイテ島内には、フィリピン攻防戦で命を落とした約10万人とも言われる陸海軍将兵の慰霊碑がある・・・一度はアメリカ軍に奪回されたものの、終戦の翌年フィリピン共和国として独立が果たされた(p191)
【私の評価】★★★☆☆(73点)
目次
第一章 日米開戦まで
第二章 真珠湾攻撃・マレー沖海戦で世界を変えた日本
第三章 世界史上初の空母決戦、珊瑚海海戦
第四章 運命の歯車が狂った、痛恨のミッドウェー海戦
第五章 日本の勝機を奪った、ガダルカナル大消耗戦
第六章 無念の空母決戦、マリアナ沖海戦
第七章 史上最大の海空戦となったレイテ沖海戦
第八章 戦艦大和の沖縄特攻、そして敗戦
著者経歴
久野 潤(くの じゅん)・・・1980(昭和55)年生まれ、慶應義塾大学総合政策学部卒業、京都大学大学院法学研究科国際公共政策専攻修了。専門分野は近現代日本の政治外交とその背景思想で、現在は大阪国際大学で政治経済系科目を担当。。学術研究以外に毎年70名ほどの戦争経験者を取材し、各雑誌に戦史関係の記事を執筆。
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