「ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった! 明治日本の産業革命遺産」岡田 晃
2019/04/22公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(86点)
要約と感想レビュー
明治日本の産業革命遺産の解説本かと思って手にした一冊。読んでみると意外とおもしろく歴史を振り返りながら、先人たちの志、チャンレジ精神を学ぶ一冊になっていました。
当時の日本人は翻訳本から製鉄所を造り、大砲を製造しようとしていた。まさに高い志、チャレンジ精神の発露といえるのでしょう。
・(島津)斉彬(なりあきら)はその翻訳本を取り寄せ、藩士たちはその本を頼りに建設作業を開始した・・・なかなか大砲の製造までこぎつけることができなかった・・斉彬は「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も同じく人なり」と言って激励したという(p30)
東北から見れば、戊辰戦争は不要な戦争でしたが、倒幕派から見れば戦争が短期間に終わってしまった。その証拠にグラバー商会は武器や戦艦を大量に不良在庫とし明治2年に倒産しています。
その後、グラバーは三菱の顧問となっています。グラバーは倒幕を支援し、明治政府とともに日本の近代化に関わった政商だったとわかります。
・グラバーは・・高額の船や武器を大量に買い付け、それを倒幕派の大名に掛け売りしていたのだが、短期間で倒幕が成功したことによって大量の武器が売れ残り、売掛金の回収が不能となってしまったのである・・ついに1870(明治3)年、グラバー商会は倒産した(p163)
歴史というものは、いろいろな角度から調べるとまた面白いのだな、と思いました。歴史を政治利用する国家もありますが、できれば事実に近い歴史を学び、これからの日本を占ってみたいと思います。
岡田さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・毛利輝元は、豊臣政権時代には広島城を本拠地として中国地方の10カ国、約120万石を領有する大大名だった。しかし関ヶ原の戦いで西軍の総大将にかつがれた末に西軍が敗北したことから・・・37万石に大幅削減され、そのうえ本拠地を交通の不便な日本海側の萩に移されたのだった・・・城下町の各所に敵の侵入を防ぐ工夫が凝らされている・・「いざとなれば徳川と一戦交える」との覚悟が読み取れる(p65)
・龍馬は第一ステップとして、薩摩藩名義で英国から武器や蒸気船を購入して長州に回し、長州は米を薩摩に提供するという斡旋案を示し、薩摩と長州は接近を模索し始める。これを受けて伊藤(博文)は下関と長崎をたびたび往復し、武器や船の購入交渉に当たった(p84)
・幕府は・・・佐賀藩と福岡藩に一年交代で長崎の警備を命じていた。このため佐賀藩は、長崎に入ってくる海外情報や蘭学の知識などを入手しやすい立場にあり、藩内でも蘭学の研究などが盛んになっていた(p93)
・(薩摩藩の)五代(友厚)は明治になって・・現在の南海電鉄や商船三井などの全身企業をはじめ数多くの企業を設立したほか、大阪株式取引所や大阪商法会議所を設立して初代会頭に就任した・・・「大阪経済の父」と呼ばれている(p55)
・(鍋島)直正は人材育成と人材登用にも力を入れた・・弘道館の新しい課題(カリキュラム)を示し、25歳までに課題を卒業できない者は家禄の一部を削減し藩の役職には就けないことにした・・勉学の上達を見せた者には身分にかかわらず知行の加増や特別手当を支給(p114)
・(鍋島直正は)1849(嘉永2)年、天然痘ワクチンをオランダ商館の医者を通じて入手し、当時4歳だった長男・直大(なおひろ)に接種させた(p115)
・グラバーは香港に出張し、英国領となっていた香港の造幣局で使用していた貨幣製造機を購入し、大阪の造幣局に納入した・・・グラバーは造幣寮に「協力」というレベルを超えて、共同創設者ないし総合アドバイザー的な役割を果たした(p161)
・軍艦島はむしろ日本で最も生活水準の高い地域になった・・・日本初の鉄筋コンクリート造りのアパート、世界初の海底水道敷設・・(p250)
・映画だけではない。韓国では、12歳の少年が軍艦島に強制連行されて苦しめられたとする子ども向けの絵本も出版されている・・これらによって「軍艦島は奴隷島だった」という誤解が世界に広がろうとしている・・日本人の一部にさえ、そうした誤解を持っている人がいるという(p256)
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【私の評価】★★★★☆(86点)
目次
はじめに 明治150年が教える"日本の底力"
第一章 "西郷どん"や"五代様"を育てた薩摩藩・島津斉彬の挑戦
第二章 志士の息吹を今に伝える長州・萩
第三章 実は近代化のトップランナーだった佐賀
第四章 知られざる"近代化の父"・江川英龍
第五章 "陰のプロデューサー"トーマス・グラバー
第六章 長崎から世界へ