「おなあちゃん―三月十日を忘れない」多田乃 なおこ

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おなあちゃん―三月十日を忘れない

【私の評価】★★☆☆☆(69点)


■14歳のとき東京大空襲を生き延びた
 阿部攝子(あべせつこ)さんの手記を
 小説にした一冊です。


 阿部攝子(あべせつこ)さんは
 もちがし屋の娘。
 せっちゃんと呼ばれていました。


 そこでは時々お店の前を掃除して
 もちがしの切れ端をもらう直吉、
 通称「おなあちゃん」がいた。


 直吉は40代半ばの独り身で
 女らしいプー太郎。
 戦中のマツコ・デラックスなのだ。


■1945年3月10日、
 東京大空襲が始まった。


 せっちゃんは、
 小学校の屋上に逃げて
 何とか生き延びることができた。


 せっちゃんの家族も無事だったが、
 母は火傷の姉の面倒を見ており
 せっちゃんは「おなあちゃん」と
 上野の地下道で過ごすことになった。


 「おなあちゃん」は日中
 地下道を出て、夕方にはどこからか
 服や食べ物を調達してくれるのだった。


・呉服橋。茅場町。
 通りをうめつくしていた黒焦げの死体は、
 どこにもなかった。
 永代橋をわたる(p78)


■7月になると親戚のおじさんが、
 せっちゃんを迎えにきた。
 「おなあちゃん」の話をすると
 いやな顔をする。
 大人は「おなあちゃん」のような
 男女は嫌いなのだ。


 せっちゃんは、「おなあちゃん」に
 挨拶もせず、地下道を去った。
 あれだけ助けてもらったのに、
 お礼も言わずに去ったのだ。


 親戚のおじさんの家での生活は
 食べ物もあり、普通の生活が
 待っていた。
 そして戦争は終わった。


■しばらくして、親戚のおじさんの家で
 おまんじゅうを作り、
 上野で売り始めた。大好評だった。


 ところがある日、ホームレスの集団が
 「まんじゅうをくれ。カネはないんだ」
 とやってきた。


 なんと!その中に「おなあちゃん」が
 いた。あのやさしい「おなあちゃん」が
 死んだ目をしてその中にいたのだ。


 せっちゃんは、その場を逃げた。
 そのことを忘れることができなかった。
 あれから60年。やっとせっちゃんは
 そのことを書きはじめたのです。


 多田乃さん
 良い本をありがとうございました。


───────────────


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・ものごころついたころ、
 日本は"強い国"だった(p12)


・五、六人の集団が・・・
 「まんじゅうをくれ。カネはないんだ」
 姿かたちよりも、その目がぞっとするほど
 こわかった。感情のぬけ落ちた目(p151)


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■目次

おなあちゃん
お国のために
悲しい国
三月十日
ピアノ
白いかげ
すみれ色のもんぺ
灰色の町
ふたり
地下道暮らし
さよなら
大家族
牛肉ざんまい
終わりの始まり
まんじゅう売り



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