「おなあちゃん―三月十日を忘れない」多田乃 なおこ
2018/08/20公開 更新本のソムリエ [PR]
Tweet
【私の評価】★★☆☆☆(69点)
要約と感想レビュー
せっちゃんとおなあちゃん
14歳のとき東京大空襲を生き延びた阿部攝子(あべせつこ)さんの手記を小説にした一冊です。阿部攝子(あべせつこ)さんは、もちがし屋の娘。せっちゃんと呼ばれていました。そこでは時々お店の前を掃除してもちがしの切れ端をもらう直吉、通称「おなあちゃん」がいました。直吉は40代半ばの独り身で女らしいプー太郎。戦中のマツコ・デラックスなのです。
1945年3月10日、東京大空襲が始まりました。せっちゃんは、小学校の屋上に逃げて何とか生き延びることができたのです。せっちゃんの家族も無事だったが、母は火傷の姉の面倒を見ており、せっちゃんは「おなあちゃん」と上野の地下道で過ごすことになりました。「おなあちゃん」は日中、地下道を出て、夕方にはどこからか服や食べ物を調達してくれるのです。
・呉服橋。茅場町。通りをうめつくしていた黒焦げの死体は、どこにもなかった。永代橋をわたる(p78)
お礼を言えなかった
7月になると親戚のおじさんが、せっちゃんを迎えにきました。「おなあちゃん」の話をするといやな顔をするのです。大人は「おなあちゃん」のような人間は嫌いなのです。せっちゃんは、「おなあちゃん」に挨拶もせず、地下道を去りました。あれだけ助けてもらったのに、お礼も言わずに去ったのです。
親戚のおじさんの家での生活は食べ物もあり、普通の生活が待っていました。そして戦争は終わったのです。
しばらくして、親戚のおじさんの家でおまんじゅうを作り、上野で売り始めました。大好評でたくさん売れました。ところがある日、ホームレスの集団が「まんじゅうをくれ。カネはないんだ」とやってきた。なんと!その中に「おなあちゃん」がいたのです。あのやさしい「おなあちゃん」が死んだ目をしてその中にいたのです。
せっちゃんは、その場を逃げました。今まで、その事件を忘れることができなかったのです。あれから60年。やっとせっちゃんは、そのことを書きはじめることができたのです。
多田乃さん、良い本をありがとうございました。
無料メルマガ「1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』」(独自配信) 3万人が読んでいる定番書評メルマガ(独自配信)です。「空メール購読」ボタンから空メールを送信してください。「空メール」がうまくいかない人は、「こちら」から登録してください。 |
この本で私が共感した名言
・ものごころついたころ、日本は"強い国"だった(p12)
・五、六人の集団が・・・「まんじゅうをくれ。カネはないんだ」姿かたちよりも、その目がぞっとするほどこわかった。感情のぬけ落ちた目(p151)
冨山房インターナショナル
売り上げランキング: 1,009,176
【私の評価】★★☆☆☆(69点)
目次
おなあちゃん
お国のために
悲しい国
三月十日
ピアノ
白いかげ
すみれ色のもんぺ
灰色の町
ふたり
地下道暮らし
さよなら
大家族
牛肉ざんまい
終わりの始まり
まんじゅう売り
著者経歴
多田乃なおこ(ただのなおこ)・・・1962年福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。出版社勤務を経て、現在、フリー編集者
この記事が参考になったと思った方は、
クリックをお願いいたします。
↓ ↓ ↓
コメントする