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「日本経済の心臓 証券市場誕生!」日本取引所グループ

2017/12/16公開 更新
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日本経済の心臓 証券市場誕生!


【私の評価】★★★☆☆(73点)


要約と感想レビュー

享保15(1730)年、大阪の堂島に世界で最初の先物取引所である「堂島米会所」が設置されました。当時は米が重要作物であり、米価を需要と供給から決定するために市場が必要だったのです。藩の蔵屋敷では、国元から送られてきた米は重くてかさばることから、大阪の商人に米切手と呼ばれる紙の証書で販売していたという。


さらに、米価が上下することから小さい金額で先物を売る権利を予約するニーズもありました。実際に、「延売買」といって、米切手の買付代金を全額払わず残額を一定期間後に支払うという契約がありました。小さな資金で大きな米切手を売買していたわけで、現代の先渡し契約に相当するものだったのです。日本人の先見性にびっくりしました。


・吉宗は享保15(1730)年、幕府公認の米切手転売市場である「堂島米会所」を設立します。1531年にアントワープに、1568年にロンドンに、公設の商品取引所が設立されていますが、この堂島米会所は日本で最初の公設の取引所であるばかりでなく、世界で最初の公設の先物取引所ということになります(p31)


この大阪の米の取引所と同じように酒田に米の取引所がありました。酒田の米相場で勝ち続けていたのが、酒田の本間宗久なのです。なぜ、本間宗久が戦連勝できたのかといえば、宗久が酒田の米相場の価格が、大阪の米相場に連動することを知っていたからだという。当時、大阪の米相場の情報が酒田に伝わるのに2、3週間かかっていたのに、本間宗久は飛脚を雇って大阪の情報を7日で入手していたというのです。


良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・先の組屋の事例では、米の売却代金・金21枚3両のうち、手数料と運賃で金13枚3両が組屋に入っていると示し、その手数料割合は6割に達すると分析しています(p11)


・各藩は、領主米の販売による収入を引き当てに、掛屋から借金をしていたため、借金がある限り、大阪での領主米販売はやめられませんでした(p27)


・糸平は横浜金穀取引所での地位を利用し、見せ金を追証として入れたことにし、一方でドル(洋銀)は小切手でなく現物を積むようにルールを改正してしまったので、フイドン側は敗北したと言われています。居留地のイギリス軍が金穀取引所を包囲するような大騒ぎになり、神奈川県令が仲裁に入ってようやく騒動は収束しました(p105)


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【私の評価】★★★☆☆(73点)


目次

1 江戸期―証券取引の夜明け
2 明治・大正期―兜町と北浜
3 昭和期戦後の証券市場復興と隆盛



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