「おだまり、ローズ: 子爵夫人付きメイドの回想」ロジーナ・ハリソン
2017/06/24公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(70点)
要約と感想レビュー
イギリスのアスター子爵夫人ナンシー、レディ・アスターに仕えたメイドの回顧録です。当時のイギリスの使用人(執事やメイド)は、ディナーアワー(当時の庶民は夜ではなく昼に正餐をとっていた)と呼ばれる昼休みに、家に昼食を食べに戻り、食べてから仕事の洗濯を始めるといった生活であったという。著者は、夜九時から朝六時までは睡眠の時間として確保し、夜十時過ぎまで起きていることはなかったという。
女主人のレディ・アスターは非常にメイドをいじめる?!人だったようで、多くのメイドが変わっていきました。どこかの国の国会議員のように「ハゲ~」と罵倒するわけではなく、婦人は単に意地が悪いのです。例えば、泊りがけのお出かけにはメイドがお供をし、メイドが荷造りをしました。女主人は「あなたに任せるわ、ローズ」という具合にいいかげんに指示するのですが、目的地に到着し、必要な物がないと、一転してメイドを責めたという。
・わたしの目に映る奥様は、もはや気難しく意地の悪い人物ではなく、自分なりの方法で私を試そうとしている人物でした(p118)
メイドは、休日が少ないうえに仕事の時間が不規則で、夜の門限も十時と決まっているので、異性とのデートで遅刻すると失職することもあったという。しかし、気の強い著者は、解雇されるのを覚悟して、言いたいことを言いました。すると、レディ・アスターが折れたのです。気の強いどおし、ボケとツッコミのような関係を楽しんでいたのでしょう。
ハリソンさん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・ときにはパトリシア様のお供で公園に散歩に行くこともありました。まるっきりメリーさんと羊そのままで、もちろん私が羊です。ただし実際には、わたしは羊ではなくむしろ番犬の役割を期待されていました・・淑女は使用人の前ではつねに品位を保たなくてはならないのです(p35)
・奥様づきメイドになったいま、わたしももうプリント地のワンピースは身につけません。求められるのは、すっきりと簡素で控えめで、それでいた野暮ったくない服装です。朝と午後はセーターとスカートの上にカーディガンを羽織り、お茶のあとや、それ以上でも外出するときは、青か茶色のワンピースに着替えます(p54)
・わたしにとっての最大の頭痛の種は、そこまで値が張らない装身具の数々でした。奥様は普段使いの装身具の扱いには無頓着で、ほうぼうに貸してしまい、ときにはだれにも言わずに人にあげてしまわれることさえあったのです(p110)
・あなた方イギリス人にはもうひとつの特徴があるわ。イギリスの御婦人は旦那様はしょっちゅう変えるけど、執事は絶対に変えないの(p191)
・使用人の回顧録はそう多くない。イギリスにおいて二十世紀半ばまでは、使用人をひとりでもおくことが、「ミドル・クラス」の絶対条件であり、家庭の使用人という仕事に就く人口が農業に次いで多かったことを思うと、これは不思議に思えるかもしれない。しかし、基本的にイギリスの使用人は労働者階級出身で、長い文書を書くのが得意な人間がそう多くはなく、また優秀な使用人ほど、「主人の秘密を多言してはならない」ことをたたきこまれている・・(p355)
白水社
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【私の評価】★★★☆☆(70点)
目次
アスター家の使用人 1928
はじめに
1 子供時代
2 いざお屋敷奉公に
3 アスター家との出会い
4 レディ・アスターとわたしの仕事
5 わたしが仕事になじむまで
6 おもてなしは盛大に
7 アスター家の人々
8 戦時中の一家族
9 叶えられた念願
10 宗教と政治
11 最後の数年間
著者経歴
ロジーナ・ハリソン・・・1899年イギリス、ヨークシャーに、石工の父と洗濯メイドの母の長女として生まれる。1918年、18歳でお屋敷の令嬢付きメイドとしてキャリアをスタート、1928年にアスター子爵家の令嬢付きメイドとなり、同年、子爵夫人ナンシー・アスター付きメイドに昇格する。以後35年にわたってアスター家に仕えた。1975年に本書を刊行、1989年没。
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