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「慟哭の通州―昭和十二年夏の虐殺事件」加藤康男

2017/05/13公開 更新
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慟哭の通州――昭和十二年夏の虐殺事件


【私の評価】★★★☆☆(70点)


要約と感想レビュー

 昭和12年7月29日、北京の東20キロにある通州でその事件は起きました。日本人を守るべき保安隊の中国兵が日本人、朝鮮人200数十人を虐殺したのです。


 殺し方は中国人の伝統らしく腹を裂いたり、口から棒を差し込んだり、陰部に棒を差し込むなどしました。日本人には考えつかない殺し方ですね。


 加藤さん、良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・南京事件などでは荒唐無稽な30万人などという数字を持ち出すのに、自分たち中国人が邦人を殺害した事件では約二百数十人を五百人に倍増、抗日の"成果"ぶりを誇って見せる(p13)


・3300名の保安隊による叛乱襲撃はおよそ三時間続き、警備隊はほぼ殲滅してしまう。逆に言えば、日本側は120数名たらずの極少守備隊でよく三時間も抗戦を続けたものだとも言える(p72)


・支那人の豹変性といふのは民族的な特性の一つですが、日本では敵側に寝返りを打ったり、投降したりすることは武士道の最も恥ずべき所業ですが、支那ではこれを「反正」といつて、正しきにかへるとしているのです(p165)


・日本人はかくれろ・・普通なら『助けてくれ』と叫ぶ処なんだが、あれが日本人の真面目なんだね・・それから『静かにしろ、黙れ』という支那語が聞こへたが、なおも『日本人はかくれろ』と言ふものだからズドンと銃声がしたのです(p172)


・ある者は鼻に針金を通され、ある者は大根の様に腕や脚を切り刻まれ、目を刳り抜かれ、あるいは耳鼻を切断せれ、手足の指を裂き、婦女子に至っては、手脚を切り刻み自由を奪った後恥辱したものすらあった。又、男子の陰部等切断されあるもの等、まさに往年の尼港事件を髣彿たらしめるものがあった(p186)


・昭和11年の終わりごろからは、例の異様な「学生集団」が町中を練り歩くようになった。彼らは小銃や青竜刀で武装し「日本人は殺してしまえ」と叫んでいたという・・蒋介石は裏から武装学生集団を操って日本排撃の尖兵としていた(p204)


・中国では外国人が殺され続けてきた。目新しいことではなかった・・おまけに日本人の男や女、子供たちは他の国から人気が悪くなっていた。モスクワやヨーロッパのある国々による熟練したプロパガンダのためである。その中の特に一国は中国に大きな利害関係があり、日本の商業的台頭を恐れていたのだ。他の国民は後で始末してやる。中国共産党はまず日本人を地祭りに挙げることに決めた(フレデリック・ウィリアムズ)(p293)


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【私の評価】★★★☆☆(70点)



目次

序章 虐殺の城門へ
第一章 通州城、その前夜
第二章 血染めの遺書
第三章 日本人街の地獄、その検証
第四章 私はすべてを見ていた――佐々木テンの独白
第五章 救援部隊到着――連隊長以下の東京裁判証言録
第六章 現地取材はどう報道されたか
第七章 日本人襲撃は国民党との密約・陰謀だった
終章 「あとがき」に代えて


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