「江戸の産業ルネッサンス―近代化の源泉をさぐる」小島 慶三
2012/05/11公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(73点)
■外国人の目には、
江戸の社会はどのように映ったのか。
外国人の日記、書籍、資料から
江戸の社会を検証する一冊。
人によって感じ方がちがうのは当然で、
好意的に評価する人、
否定的に評価する人、
いろいろだったようです。
・支那人は物質的関心しかないが、日本人の場合には、
道徳的な欲求と物質的な節度は調和している。日本人の
献身感、連帯感は、支那人よりも遥かに優れている
(モンブラン)(p166)
■おもしろいのは、来日した外国人が
軍人が多かったこともあると思いますが、
日本をいかに支配しようかと考えていること。
支配できないのであれば、
通商をもって儲けよう
と考えているのです。
結局は、今も昔も、
金儲けが最大の目的なんですね。
・日本は武力によって圧することは困難、不可能である。
なぜならば、日本は住民が多い。
しかも勇武である。死を恐れない。・・
従ってこれを我が手に収めるには
布教をして人心を収攬(しゅうらん)する他はない。(ロドリゴ)(p27)
■「JIN―仁」というテレビ番組がありましたが、
江戸時代にタイムスリップしてみたいと
思いました。
外国人が江戸に感じたのは
貧乏、質素だが笑顔で楽しそうな町人。
死を恐れず、体面を重んじる武士。
それが私たちの祖先なのです。
小島さん、良い本を
ありがとうございました。
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■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・世界の歴史に照らしてみても
270年の長きにわたって、
平和を維持したのは、
この江戸時代をおいてほかにない。(p5)
・江戸の人口は享保年代(1716~36)では130万人に達し、
世界最大の都市であった・・・ロンドン70万人、
パリ50万人、ウィーン25万人程度であった。(p80)
・ペリーのあとで日本に来たハリス(1804~78)は、
日本との交渉にあたって武力を用いなかった・・・
日本の開国、通商を勝ちとるわけである。
ペリーが結んだのは和親条約であるから、
実質的な開国をさせたのはハリスである。(p151)
・本当に15年しか経っていないということは、
全く信じ難い・・
将軍はいなくなった、老中もいない・・
三条さんは、今総理大臣になっている。
冒険をしてスコットランドへ行った
青年達のうち、伊藤さんは内務大臣になっており、
井上さんは外務大臣になっている。
(ジョン・R・ブラック)(p141)
・太政官布告では、真っ先に裸体を禁止している。
そして混浴も、婦女の行水も、禁止している。
それから春画とか珍具、入れ墨、落書も禁止・・・
立ち小便はいかん、提灯なしで馬車を動かしてはいかん・・・
外人に対して恥ずかしい思いをするという
恥の論理である(p157)
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【私の評価】★★★☆☆(73点)
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