「世界史のなかの満州帝国」宮脇 淳子

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世界史のなかの満洲帝国 (PHP新書)
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■日本の旧支配地域といえば、
 満州、台湾、そして
 グアム、サイパンなど南の島々。

 日本の旧支配地域はタブーになっているのか、
 テレビでも書籍でも書かれることが少ないので、
 今回は満州について学んでみました。


・1932年に満州国が建設されたとき、日本人は・・約24万人いた。
 ・・敗戦時の日本人が155万人であったことを考えると、
 日本人はこのあと大量に移住したことになる(p207)


■満州を知るためには、
 中国の歴史を知る必要があります。

 中国の歴史を見ると、
 南の人、北の人、
 そしてモンゴル、
 満州の清朝と、
 支配者が移り変わります。

 こうして見ると、 
 なにをもって中国人とするのか
 中国とは定義の難しい国だとわかります。


・「満州人」すなわち「旗人」・・・
 チャイナ・ドレスのことを、現代中国語では
 「旗袍(チーパオ)」という。これは、支配階級の
 満州人の衣服であったものを、1912年に清朝がほろびたあと、
 一般の中国人がまねをして取り入れたデザインだから、
 こういうのである(p92)


■歴史に仮定はありませんが、
 「もし戦争で負けていなければ・・・」
 満州国という国が残っていたのでしょう。

 固い本でしたが、
 こうした本を読んでみるのも勉強ですね。

 宮脇さん、良い本を
 ありがとうございました。


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■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・「支那(シナ)」の語源は、「秦」という王朝名であって、
 始皇帝が、文字どおりはじめての皇帝である。だから、
 中国の歴史は厳密にいえば二千二百年あまりで、
 「中国五千年」は政治的な主張にすぎない。(p48)


・1260年にフビライはモンゴル帝国のハーンに即位し、
 1271年に「大元」という漢式の国号を採用した・・・
 中国ではチンギス・ハーンを「元の太祖」と呼ぶ。しかし、
 チンギス・ハーンの時代に元はないし、
 かれは中国人ではない(p74)


・満州国から満州帝国時代には、
 少なくとも国内で大規模な戦争はなかった。
 満州の地が戦乱にまきこまれるのは、
 日本の敗戦のあと、さらに国共内戦が行われた四年間で、
 このときの死者数のほうがはるかに多かったことを
 知っておきたい。(p230)


終戦当時、満州在住の日本人人口は約155万人と推定され、
 そのうち死亡者は17万6000人にのぼる。(p240)


・毛沢東はかつて、「仮にすべての根拠地を失っても、
 東北さえあれば社会主義革命を成功させることができる」
 と語った。実際、戦後の満州は中国の重工業生産の
 九割を占めた(p247)


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