「江戸グルメ誕生-時代考証で見る江戸の味」山田 順子

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江戸グルメ誕生-時代考証で見る江戸の味-

【私の評価】★★★☆☆(73点)


■江戸時代の食料事情を
 まとめた一冊。


 時代劇ではあまり食事のシーンは
 ありませんが、
 御飯はたくさん食べていたようです。


■江戸時代中期になると
 居酒屋もでてきます。


 宵越しの金を持たない
 という生活も可能だったのです。


 山田さん、
 良い本をありがとうございました。


─────────────────────────────


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・平安時代以前は、調理の段階で味をつけることを
 しなかったのです。調理法としては
 「生」、「干す」、「塩漬け」が基本で、
 火を使ったものでは、「焼く」、「茹でる」、
 「蒸す」、「汁にする」といった簡単なもので、
 食べるときに、食べる人がそれぞれ好みの
 調味料をつけて食べたのです(p19)


・江戸時代まで料理をつくるのは男の仕事でした。
 貴族たちの屋敷の台所で包丁を持つのも、
 鍋や釜で煮炊きをするのも、膳に盛りつけるのも
 みんな男性の家来の仕事で、女性たちは野菜や
 食器を洗ったり、竃の火の番といったアシスタント
 的な仕事ばかりだったのです(p22)


・醤油は、室町時代から「垂れ味噌」「溜」「薄垂れ」と
 呼ばれていたものが、江戸時代の初めに醤油として完成し、
 京・大阪で調味料として普及していました(p26)


・鰹節は保存のできる重要な動物性たんぱく質で、
 煮炊きをしなくても食べられる
 というので携帯食としても
 重宝され、合戦の兵糧として「勝男武士」という
 語呂合わせもあって人気の食品でした(p28)


・江戸川柳に「居候 三杯目は そっと出し」・・・
 一食三杯、一日五合は働く人の権利だと
 思っていたということです・・・
 五合という数量が・・・
 幕府が俸給を支給するときの
 基準として定めた数量なのです(p36)


・江戸は朝に炊き、昼と夕は冷飯を食べていました。
 京・大阪は昼に炊き、夕と翌朝が
 冷飯だったのです(p48)


・江戸の場合、冬場の夕食が冷飯というのは辛いので、
 ほとんどの人が茶漬けにして食べていました。
 京・大阪は翌朝なので、
 冷たいうえに硬くもなっているので、
 お粥にして食べていました。(p49)


・江戸の商業・・・多くの手代たちは20歳代後半くらいから、
 退職をして自分で商売を始めるか、実家に戻って家業を
 継ぎます。勤めている間は、全員が店に住み込むのが
 決まりでしたから、結婚をする場合も
 退職をすることになります(p71)


・食後は布巾で拭いておくだけです。
 その代わり、飯茶碗は食後にお茶や湯を入れて、
 御飯粒や粘りを溶かしてそのまま飲んでしまいます。
 汁椀や皿は油を使った料理のときだけ、井戸端で
 釜の灰などを使って洗います。(p75)


・野菜栽培の肥料としては・・・
 一番効果があったのが、この下肥だったのです。
 そこで、農家同士の下肥の争奪が起こります(p90)


・豊かな漁場と旺盛な販路を求めて、
 関西から大勢の漁民が関東にやってきました。・・・
 江戸時代中期には房総半島の漁師の半数以上が
 紀州出身者というほどになったといいます(p104)


・江戸で肉を買おうと思ったらどこへ行けば
 いいでしょうか。江戸では獣の肉を売る店を
 「ももんじ屋」(百獣屋)と呼びました・・・
 肉の種類はウシを始めシカ、イノシシ、タヌキ、
 ウサギ、サル、カワウソ、クマ、イヌなど(p167)


江戸グルメ誕生-時代考証で見る江戸の味-
山田 順子
講談社
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【私の評価】★★★☆☆(73点)



■目次

第1章 こうして決まった江戸好みの味
第2章 一番おいしい御飯を食べたのは誰
第3章 将軍の食事、庶民の食事
第4章 江戸が目指した地産地消
第5章 江戸前の魚と魚河岸の喧騒
第6章 下りものVS地廻りもの
第7章 屋台と茶屋
第8章 菓子と水菓子
第9章 四季の味覚


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