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【書評】「日銀はだれのものか」中原 伸之

2026/10/22公開 更新
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「日銀はだれのものか」中原 伸之


【私の評価】★★★★★(90点)
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要約と感想レビュー


2000年の日銀ゼロ金利解除の背景

「日銀政策金利は来春1.75%へ、次の利上げは12月の可能性」という、元日銀理事の見通しを伝える記事を読みました。「物価がようやく2%に達するかという状況なのに、日銀は何を考えているんだろう?」と思い、手にした一冊です。


著者の中原伸之氏は、1998年4月から2002年3月までの4年間、日本銀行政策委員会審議委員を務めました。1997年に消費税率が5%へ引き上げられ、「失われた10年」と呼ばれた時期に、日銀を内側から見ていたのです。この本は、その経験をもとに2006年に刊行されました。


著者は1998年から、金利引き下げやゼロ金利政策を一人で提言していましたが、提案は1対8で否決され続けたといいます。日銀がゼロ金利政策を導入したのは、1999年2月でした。著者はさらに量的緩和策も提案しましたが、こちらも否決され続けました。


金利引き下げによって景気が持ち直しつつあるなか、審議委員の篠塚英子氏が、金利の目標水準を0.25%に引き上げる提案を出してきたことに、著者は驚いたといいます。


ゼロ金利政策の導入について、日銀内には「政治圧力に屈した」という屈辱感が残ったようだと著者は書いています。また、1999年9月頃には、「円高、恐るるに足らず」という楽観論もあったというのです。


2000年に入ると、速水総裁の意向に沿って、ゼロ金利解除の議論が進むようになりました。2000年8月の月例経済報告関係閣僚会議では、堺屋経済企画庁長官が「今は景気回復が主。ゼロ金利解除は慎重に」と主張。それに対して、速水総裁は「デフレ・スパイラルは終わった」と反論し、日銀はゼロ金利政策を解除するのです。


速水さんたちが意識したのは日銀の独立性だったと思います・・・速水さんや山口さんたちは、「新日銀法で認められた日銀の独立性が守られた」という高揚感に浸っていたように見えました(p131)

日銀と政府の政策不一致

当時、政府と日銀の間で、金融政策の違いが明確になっていました。1999年1月には、一時1ドル108円台まで円高が進み、大蔵省は円売り介入を行いました。しかし、速水総裁は「こんな水準で円売り介入をやるのはおかしい」と語っていたといいます。


宮沢蔵相は円高を阻止するため、日銀に対して量的緩和の導入や、円売り介入によって市場に供給された円を回収しない「非不胎化(ひふたいか)」を求めましたが、速水総裁は拒否したとされています。


日銀は記者会見で金融政策を説明しましたが、「日銀はこれだけのことをやっているのにまだわからないのか。それならば詳しく教えてやろう」と、世間を見下したような態度だったと著者は厳しく批判しています。


著者には、日銀が日本経済の状況よりも、「日銀の独立性」ばかり考えているように見えたのです。日銀内部でも、「野球をやっていてボールを打ったら、サードに走るような人が権限を握っている」という批判が多く聞かれたといいます。


私は、「日本のことを考えず、自分の属する組織のことしか考えていない。大戦時の陸軍と海軍のようだ」と思いましたが、著者も同じように感じていたようです。


一部の日銀エリートはまさにそうした旧軍部エリートに酷似している・・日銀が「金融政策の独立」を強調する点も、かつての旧軍部が固執した「統帥権の独立」と類似している(p165)

2001年の量的緩和と2006年の解除

2000年8月に日銀がゼロ金利政策を解除した後、日本経済は再び減速しました。それでも速水総裁は、2001年1月の支店長会議で、「競争における敗者は助けようがある。しかし、弱者は救済すべきではない」と発言したといいます。著者は、これを暴論だと批判しています。


しかし、日本経済の減速とデフレが一段と明確になると、日銀は2001年3月の金融政策決定会合で、量的緩和の導入を決定します。その際の各委員のコメントは、逡巡や悔恨、さらには居直りに近いものだったといいます。


2001年8月の金融政策決定会合では、日銀当座預金残高の目標を5兆円から6兆円へ、1兆円引き上げました。長期国債の買い切りオペも、月4000億円から月6000億円へと増額します。


ただし、日銀内の金利重視派には、量的緩和でジャブジャブと資金を供給しても景気には効かないと、公言する人もいたというのです。その量的緩和も、2006年3月には解除されました。著者は、「デフレ脱却を確かなものにするには、まだ早すぎる」と書いています。


2006年3月9日、日銀は量的緩和策を5年ぶりに解除しました。私自身はこの解除は時期尚早と思いました(p3)

日銀の特徴

著者が指摘する、当時の日銀の特徴を見ていきましょう。


まず、金融緩和については先送りする体質があったとしています。日銀執行部は、「いざとなれば」を繰り返すばかりで金融緩和に踏み切らず、政府と市場の様子をうかがい続けていたというのです。


ところが、金融引き締めの局面になると、迅速に金利を引き上げる。日銀マンにとって、金融緩和は自分たちの権力や存在意義を弱めるものであり、金融引き締めは権力を誇示し、存在意義を示すものなのだろうと、著者は皮肉っています。


経済予測についても、日銀は経済の流れを読み解き、先を的確に見通して、先手を打つことができない。波に流されるばかりの組織だと批判しています。


それでいて、外部から批判されると、「自分たちは政府に比べて弱い」「真面目にやっている」「あまりいじめないでほしい」などと言い訳する。一方、議論で対立すると、「我々こそが金融政策の専門家である。素人は黙っていろ」という「驕り」を見せるというのです。


著者は、一人で金融緩和を訴え続けていました。ある時、会合の後で日銀首脳と二人きりになった際、「あなた、今のままでは孤立しますよ」と忠告されたといいます。


また、「大蔵省は速水バッシングに続いて、中原さんをターゲットにしている。中原さんが、大蔵省を通さずに、首相まで連絡がつくことを憎んでいる」「大蔵省は『中原さんは速水さんの後釜を狙っている』と言っている」といった牽制も、たびたびあったと書いています。


日銀は「潤沢に資金を供給している」と説明していました。それならば、なぜ貸し渋りはなくならないのでしょうか。それでも、経済見通しを外したり、金融政策が手遅れになったりした責任は問われない。著者は、こうした体質を批判しているのです。


タイトルの「日銀はだれのものか」の答えは、日銀は、「日銀は自分たちのもの」と思っているというのが答えです。著者の答えは「日銀は国民のもの」です。資本金の約55%を政府が出資している日銀ですが、その組織の実態が失われた30年を作ってしまったのです。


アジア通貨危機対策・・・大蔵省が中国に対し、ドル・元のスワップ協定を持ちかけたのですが、中国側がこれを拒否、日銀と円・元スワップを結びたいと言ってきました・・・通貨絡みは日、米、中の文脈で考えたほうがいいと再考を促しました・・しかし、結局、2002年3月に日銀は、中国人民銀行との間で、二国間スワップ取り決めを結ぶのです。日銀の人にはなぜか中国シンパが多いように思いました(p122)

日銀への提案

著者は、金融政策の失敗について責任を問えるよう、政府に日銀総裁の罷免権を与えることを提案しています。金融政策に失敗しても、誰も責任を取らないのはまずいのです。著者は日本経済をデフレ状態に追い込んだのは三重野康総裁であり、ゼロ金利解除した速水総裁であるとしています。


さらに、本書が刊行された2006年当時、日銀は消費者物価指数(CPI)の前年比「0~2%程度」という範囲を示していました。著者は、欧米の物価安定の考え方と比較して、この水準では低すぎると批判しています。1%を中心に考えていては、物価上昇率が容易に0%を下回り、再びデフレに陥りかねない。だからこそ、2%以上を目指すべきだというのです。なお、現在の日銀の「物価安定の目標」は2%です。


最後に、著者は、日本で低コストの資金を調達し、欧米で運用する「キャリートレード」にも触れています。日本が金利を引き上げ、国際金融市場への資金供給の流れが細れば、世界の金利が上昇し、市場がパニックに陥る可能性があると指摘しているのです。


日銀が急激に金利を上げたことがきっかけとなり、キャリートレードが逆回転すれば、急激な円高が進み、日本経済にも悪影響が出るかもしれません。もしそうなったら、円安を批判しているマスコミは、どう説明するのでしょうか。


中原さん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言


・疑問に思ったのは、その時、何を基準にして代わりの総裁、副総裁を選んだのかが今ひとつクリアでなかった点です。ジャーナリストから副総裁に登用された藤原作弥さん・・・「金融はずぶの素人です」と言ったのには驚きました(p21)


・理事の任命問題・・・それまで日銀事務方の最高位である理事職は、一つが大蔵省の指定席、残りは実質的に日銀が内部昇格で決めていました(p36)


・執行部も日銀内部の人材を評価しない・・財務省出身者が占めていた理事ポストの後任人事などの際、私は内部から人材を登用してはどうかと何度か提案しました。ところが、執行部は「内部にそんなに立派な人はいません」と言って、財務省OBの定位置を守るような対応をとるのです(p215)


・1998年12月22日に蔵相の宮沢喜一さんが、市場に流れていた大蔵省資金運用部による国債買い入れ停止のウサワをあっさりと肯定・・・速水さんは講演で「日銀が国債を50兆円強も保有しているのは自然な姿ではない」と述べ・・・国債相場は暴落しました・・150歳コンビ、亡国の徒なり(p55)


・量的緩和への批判として、経営破綻寸前のゾンビ企業まで救ってしまったという指摘があります。しかし、それは会社を経営したことのない人の言い分です・・・企業に経営転換する時間的、資金的余裕を与えることで、経済全体のコストを低減させるメリットがあったと思います(p261)


▼引用は、この本からです
「日銀はだれのものか」中原 伸之
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中原 伸之、中央公論新社


【私の評価】★★★★★(90点)


目的


第1章 金融政策に向き合う―1998年4月まで
第2章 ゼロ金利への挑戦―1998年4月以降
第3章 ゼロの攻防―1999年
第4章 ゼロ金利解除―2000年8月まで
第5章 量的緩和策導入への道―2001年3月まで
第6章 量的緩和以降
第7章 原油高を読む
第8章 日本経済と日銀の将来


著者経歴


中原伸之(なかはら のぶゆき)・・・財団法人アメリカ研究振興会理事長。1934年東京都生まれ。1957年東京大学経済学部卒業。1959年ハーバード大学大学院修士課程修了(M.A.)。同年東亜燃料工業株式会社(現・東燃ゼネラル石油株式会社)入社。1966年同社常任監査役、1974年常務取締役を経て1986年代表取締役社長。1994年同社名誉会長。1998年4月より2002年3月まで日本銀行政策委員会審議委員。2002年10月より2005年5月まで金融庁顧問。1998年藍綬褒章受章。この間、上智大学、慶應義塾大学ビジネススクール、東京大学等で教鞭をとる


デフレと金融政策関連書籍


「日銀はだれのものか」中原 伸之
「国民をとことん貧しくする日銀と財務省の大罪」 高橋 洋一
「何が日本経済を壊したのか 「失われた30年」の謎を解く18の経済講義」 会田卓司、松本賢
「バーナンキは正しかったか? FRBの真相」デイビッド・ウェッセル
「高橋是清―立身の経路 (人間の記録)」高橋是清


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