【書評】「新訳 日本奥地紀行」イザベラ・バード
2026/09/07公開 更新
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【私の評価】★★★★☆(87点)
要約と感想レビュー
日本は安全な国
イギリスの旅行作家イザベラ・バードは、1878(明治11)年に日本を訪れ、東京→日光→新潟→秋田→山形→青森→北海道と旅をしました。その目的は、西洋人に知られていない「真の日本」を観察し、記録することでした。
実際、まだ西洋人が訪れていない日本を見ようとしたのでしょう。日光からは奥州街道を通って白河へ向かわず、険しい山道を選んで会津へ向かっています。
旅行後には、自分のメモと、オーストリア公使館のハインリッヒ・フォン・シーボルト氏の認識が「あらゆる点で一致していた」と、記録の正確さを強調しています。
バードが主な街道を避けたこともあり、旅の途中では多くの貧しい村を通過しました。例えば、「人々は木を燃やす煙で黒く煤けた小屋に鶏や犬や馬と一緒に住まい、堆肥の山からは液体が井戸に流れ込み、男の子たちはすっ裸だった」と描写しています。
その一方で、初めて見る外国人を一目見ようと日本人が集まってきても、群衆は静かでおとなしく、無礼な行いをすることは決してなかったという。日本を約1930キロ旅したバードは、まったく安全であり、恐怖心とは無縁だったと高く評価しているのでした。
小佐越で・・・段丘上にあるこの小さな村は非常に貧しく、家はみすぼらしかった。子供たちは非常に汚い上にひどい皮膚病に苦しみ、女たちは炭焼きの厳しい仕事と煙のせいで顔色も表情もとてもひどく、身体つきも貧相だった(p144)
食事と住居には不満あり
旅での不満は、田舎の宿の蚤や蚊、カビ臭く湿った部屋でした。
さらに、日本家屋は障子や襖で仕切られているだけで、鍵も壁もドアもありません。イギリス人のバードにとって、このプライバシーのなさは耐えがたいものだったのです。しかも、外国人が珍しかったためか、襖の隙間からバードを盗み見する日本人も少なくなかったのです。
食事も、米、茶、卵、漬物だけということが多く、イギリス人女性にはかなり辛かったようです。海の近くでは、刺身や塩魚、漬物などが出されました。
旅の途中の茶屋でも、売っているものは菓子、干魚、漬物、餅、干柿など。車峠では、塩辛い貝、干した鱒、こんにゃく、乾し海苔が売られていましたが、バードはどれも嫌な味と匂いがすると酷評しています。
山王峠の頂きに着いた・・・川島という戸数57戸のみじめな村に着いた・・私が食べられるものは黒豆と胡瓜の煮物だけだった・・部屋は暗く不潔で汚く騒々しく、その上、汚水の悪臭がひどかった(p161)
貧しくても明るく知的な日本人
バードは、日本人の外見については、痩せていて、黄色く、不格好だと書いています。その一方で、人々の表情はとても明るく、家族で楽しく暮らしている姿を高く評価していました。
例えば白沢では、仕事から帰った人々が食事をし、子供をおんぶしたり、一緒に遊んだりしていました。しかも、こうした光景はこの村だけではなく、どこの村でも同じだったというのです。
バードは、イギリスでは労働者がパブに出て、家に帰っても口論が絶えないのに、日本では貧しくても人々は家庭で楽しく過ごし、子供が家族の絆になっていると驚いているのです。
また、当時の日本人の知的水準にも注目しています。ほとんどの集落に貸本屋があり、人々は夜になると物語や英雄伝を読んでいました。観光地の情報を掲載した木版刷りの絵入り旅行案内書「名所図会」も普及していました。
貧しい生活だけを見れば「未開の地」。しかし、人々は働き、家族を大切にし、本を読み、子供は学校で学んでいる。外国人女性が見いだした明治初期の日本社会の「矛盾」は、実はその後の日本の発展を予感させるものだったのではないでしょうか。
松川を渡り津久茂に至った・・・男は褌の他には何も身につけず、女も上半身は裸だった・・・下校途中の子供たちは、学んだことを諳んじながら歩いていた。その不調和は私には衝撃だった(p216)
乞食がいない社会
バードが日本に上陸して、まず驚いたことの一つが「浮浪者がいない」ということでした。さらに盲人も按摩、金貸し、音楽などの仕事を持ち、自立して生活していた書いています。
イギリス人から見れば、日本人は小柄で貧相に見えるものの、誰もが何らかの仕事を持ち、家族のために働いていたというのです。
最後に東京へ戻ったバードは、江の島と鎌倉を観光しています。江の島と鎌倉を「俗っぽい」行楽地としながらも、背後に神々しい富士山がそびえているおかげで、俗悪化しきらずにすんでいると、イギリス人らしい皮肉を込めてまとめています。
貧困や不衛生については容赦なく書く一方で、日本人の礼儀正しさ、治安の良さ、家族愛、勤勉さ、そして教育や読書文化についても率直に評価しています。良い面も悪い面もありのままに捉える、イギリス人らしい冷静な観察眼が印象に残りました。
バードさん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・村の暮らしぶり・・・家の表では多数の女たちが腰をおろし木綿布を織っていた・・ほとんどがイングランドから輸入される木綿糸の染色も、すべての村で行われていた。染料には国産の藍(p97)
・流行っている温泉場・・・温泉小屋(共同浴場)以外にはだれもが行ける憩いの場はない。それで人々は温泉に入り、眠り、煙草を吸い、食事をしてほとんど一日を過ごすのである(p122)
・この貧弱な照明具は行灯と呼ばれる。この弱弱しい薄明かりの回りに家族が集まり、子供は遊んだり勉強をし、女たちは裁縫をする・・・もう一つの照明具である蝋燭立てはもっと嘆かわしい(p133)
・何人まで妻をもてるのか・・・「法律上はたった一人ですが、養える限りは他に妾を何人でももてます。英国の男性のように」と答えた(p259)
・青森からは蝦夷へ家畜と米が大量に移出される一方、函館から大量の魚と皮革・外国製品が移入されてくるが、こkは、本州北部から毎年多くの人が蝦夷の漁業に移民として出ていく出口である(p322)
・江戸平野に入る・・この平野には100万人の人口を擁する首都東京だけでなく、人口の多いいくつもの都市や数百の繁栄する農村がある。汽車から見渡す限りは一片の土地までも鋤によってこの上なく入念に耕されている(p47)
・ここの人々は肌着を着ないし、上着はめったに洗わずに夜昼なく同じものを着ている・・全員が寝室で寄り添って眠る。炭と煙草の煙で空気が汚れているうえに、汚い着物を着たまま、綿入り布団にくるまって寝るのである(p162)
▼引用は、この本からです

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イザベラ・バード (著)、平凡社
【私の評価】★★★★☆(87点)
目次
第一印象
旧きもの、新しきもの
江戸
中国人と従者
参拝
旅の始まり
粕壁から日光へ
金谷邸
日光
温泉場
家庭生活
夜なべ仕事
買物
買物
貧相な身なり
不潔と病気
高度な農業
マラリアがはやる所
あまりもの汚さ
川の旅
新潟
苦痛の種
繁栄する地方
日本人の医者
恐ろしい病気
葬儀
巡査
病院訪問
警察署
伊藤の長所と短所
婚礼
祭の日
危機一髪
白沢
河川の氾濫
子供の遊び七夕(タナバタ)
民衆の迷信
飾り気のない素朴さ
旅の終わり
新潟から青森への旅程
伝道活動
函館
風景の変化
遭遇
アイヌとの生活
アイヌのもてなし
未開の人々の暮らし
衣類と習俗
アイヌの信仰
酔っ払いの現場
火山探訪
雨の中の旅
驚愕
ぽつんと建つ家
失われた環
蝦夷[北海道]の旅程
挨拶状
台風(サイクロン)
火葬
著者経歴
イザベラ・バード(Isabella L. Bird)・・・1831〜1904イギリスの女流旅行家。イギリス王立地理学会特別会員。1879年、結婚によりビショップ(Isabella L. Bishop)と改姓。世界の広範な地域を旅行し、その旅行記はどれも高い評価を得ている。 インドのアムリッツァルにヘンリエッタ・バード記念病院、ジャンムー・カシミール州シュリーナガルにファニー・ジェーン・バトラーと共同でジョン・ビショップ記念病院を設立した。
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