「新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか」北野 武
2024/05/17公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(89点)
要約と感想レビュー
道徳の教科書に異論あり
2018年頃から小・中学校で道徳の授業が教科外活動から「特別の教科」になりました。その道徳の教科書「新しい道徳」に、ビートたけしがジョークを交えながら突っ込む一冊です。まず、スマホを片手に歩いている学生は批判されるのに、本を読みながら歩いていた二宮金次郎はなぜ銅像になっているのかと突っ込んでいます。
また、日本の社会問題になっている「いじめ」についても、「いじめ」はいけないと教育するなら、国だって他の国をいじめてはいけないのに、現実の世の中はそうなっていないと突っ込んでいます。電車では席を譲りましょう、人を殺してはいけません、というのが道徳ですが、人を殺して喰う人がいたとしても問題ないだろう、とビートたけしは言うのです。
いいことをしたら気持ちいいぞ、って書いてあるのが道徳の教科書だ・・まるで、インチキ臭い洗脳だ(p22)
価値観は人それぞれ
ビートたけしは、道徳の内容を否定しているわけではありません。ただ、子どもにはいろいろな性格があるのだから、すべて同一の価値観を押し付けてどうするんだ、と言っているのです。例えば、「掃除」については、ビートたけしはお店のトイレを勝手にぴかぴかにするほど掃除好きなのですが、掃除を押し付ける教育が正しいのか疑問を呈しています。
もし、ファーブル昆虫記のファーブルが捕ってきた虫を机の中に溜め込んでいれば、道徳的にはだめな人間ということになってしまうからです。つまり、野菜は食わない、虫が好き、将棋や野球しかしないような変わった人間が自分らしく生きることができる余裕がほしいということなのです。
そうした変わった人たちを学校の先生たちが、野菜も食べなきゃダメ、国語もやりなさい、とか言って、平均的なつまらない人間にしてしまうのが道徳の授業だと警告しているのです。
「自分は一生野菜は喰わない」っていうのが、自分らしさじゃないのか・・・現実の世の中では、そういう奴が案外成功したりするものなんだけど(p17)
旨い!は下品なこと
衝撃を受けたのは、ビートたけしは母親から食べ物を「旨い!」と評価するようなことは下品なことだ、と教育されてきたことです。せっかく農家の人たちが作ってくれたものを評価するのは失礼なことなのです。
美味しいものを食べたいというのは人間の本能ですが、食べ物がなくて死んでいる人がいるのにグルメや美味しい食事を語るのは「下品」である。そもそも美食とかグルメとかは、外国からたくさんの食料が輸入され、人間の食欲を商売に利用しているだけだ、とビートたけしは主張するのです。確かに、砂糖だらけの飲み物やデザートは不健康でも商売として売らなくてはならないから売っているだけなのでしょう。
何か喰って「旨い!」なんていうと、「そんな下品なこというもんじゃない」と叱られた・・食い物を作ってくれる農家に失礼だってこと(p164)
道徳は社会によって変わる
ビートたけしは、道徳とは、人が集まって社会を作ろうとした時に作られたものではないかとしています。だから、道徳は社会の状況によって変わるのです。例えば、アリとキリギリスの話はみんなが喰うや喰わずで働いている時代のもの。今は、プロ野球選手や芸人やYouTuberが憧れの職業になっているのですから、余裕のある時代ということです。
こうした余裕のある時代の中で、いろいろな個性を持った子どもがいるのに、ひとつの価値観だけで押しつける「道徳の授業」はピントがずれていると言いたいのでしょう。ビートたけしとしては、個性を活かすモンテッソーリ教育やシュタイナー教育のようなものを志向しているのでしょうか。代替案がないので★4としました。たけしさん、良い本をありがとうございました。
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この本で私が共感した名言
・席を譲るのは、気持ちがいいという対価を受け取るためなのか・・気持ちがいいから譲りなさいなんていうのは、大人の欺瞞以外の何ものでもない(p22)
・道徳を云々するなら、まずは自分が道徳を守らなくてはいけない(p52)
・夢をかなえた、ごく一握りの人にスポットライトをあてて、夢を見ろと煽る。宝くじの宣伝と同じ程度の話なのに、学校の教師までが、子どもに夢を持てなんていっている。世の中に余裕があるから、そんなことをいっていられるのだ(p58)
【私の評価】★★★★☆(89点)
目次
第一章 道徳はツッコミ放題
第二章 ウサギはカメの相手なんかしない
第三章 原始人に道徳の心はあったか
第四章 道徳は自分で作る
第五章 人類は道徳的に堕落したのか?
著者経歴
北野 武(きたの たけし)・・・1947年生まれ。浅草フランス座で芸人修業中に知り合ったきよしと結成した漫才コンビ(ツービート)で活躍した後、ソロとしてテレビ、ラジオ出演、映画や出版の世界などで活躍を続けている。映画監督・北野武としても世界的な名声を博す。1997(平成9)年には「HANA‐BI」でベネチア国際映画祭グランプリを受賞
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