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かつてナイキはアシックスを売っていた「SHOE DOG(シュードッグ)靴にすべてを。」フィル・ナイト

2020/12/14公開 更新
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「SHOE DOG(シュードッグ)靴にすべてを。」フィル・ナイト


【私の評価】★★★★☆(89点)


要約と感想レビュー

アシックス代理店契約を切られる

ナイキジャパンが差別をテーマにしたCMを作ったということで手にした一冊です。この本ではナイキという会社の創業から株式上場までが、創業者のフィル・ナイトの言葉で書かれてあります。


フィル・ナイトはスタンフォード大学で、日本のランニングシューズの米国市場での可能性についてレポートを書きました。そしてフィル・ナイトは自分で日本のシューズを売ろうと考えたのです。金も経験もない一人の若者は、祖母の反対を無視して日本へ旅立ったのです。祖母は日本人は戦争で私たちを殺そうとした、真珠湾攻撃を覚えていないのか。日本は世界を征服しようとしたと反対したという。


フィル・ナイトはオニツカ(現在アシックス)に自分の店も流通拠点も経験ないのにスポーツ店を経営していると説明し、米国市場の代理店契約を得ています。これ以外にもフィル・ナイトは何度も関係者に嘘の説明をしながら、スポーツシューズ販売事業を大きくしていきました。さらに一時、フィル・ナイトは会計事務所のサラリーマンになっています。スポーツシューズ販売は片手間の副業に近いものだったのです。


フィル・ナイトは米国西海岸で売上を増やしていきますが、全米展開はできていませんでした。そこをオニツカに突かれると、東海岸にもオフィスがありますと嘘をついて契約更新しています。フィル・ナイトは倍々ゲームで売り上げを増やしていますが、当時倒産の危機にあったオニツカは、別の販売店を探しつつ、フィル・ナイトに会社をオニツカに売却するよう提案します。当時フィル・ナイトと交渉していたキタミ氏とは、鬼塚氏の書籍から海外事業部長だった喜多見氏であり、後に取締役専務となっています。


・彼(キタミ)のブリーフケースから盗んでしまった・・・予定表が入っていたのだ。しかも印刷されて。ブルーリボンを敵視し、キタミに入れ知恵をした競合店がいた。キタミはそこを訪ねようとしていたのだ(p243)


ナイキ創業時、日商岩井の支援を受ける

オニツカの契約更新が難しいと考えたフィル・ナイトは、それまで付き合いのあった日商岩井と独自ブランドのシューズを製造し販売することにしました。それが「ナイキ」なのです。


ナイキ時代も、フィル・ナイトは日商岩井から仕入れ用の資金として融資を受けながら、内緒で新規工場建設を開始し、資金を無断流用することで資金ショートを起こしています。そのため小切手が不渡りとなり銀行口座は凍結。銀行はナイキとの取引停止を通告してきたのです。


急成長する会社は在庫を仕入れるために多額の資金が必要となります。それなのに銀行はナイキを潰すというのか・・・資金流用を知りながらも、銀行の貸し剥がしに怒りを感じた日商岩井の現地社員は、銀行の融資全額を引き受ける決断をするのです。日商岩井の現地社員にしてみれば、銀行は数字だけを見て資金を引き揚げようとしており、利益を生む事業を殺す愚かな判断だと考えたのです。


日商岩井はナイキの倒産を避けるため、引き上げられた銀行の資金全額を引受けました。社内規程で定める取締役会の決定なしで、そうした対応をした担当者は懲戒解雇を宣告されています。(担当役員の配慮でクビにはならず)フィル・ナイトは日商岩井の担当者に、「ありがとうございます。私たちを守ってくれたことを後悔させません」と発言しています。


今回のナイキジャパンのCMは日商岩井のOBを後悔させているのではないか、と私には思えました。フィル・ナイトが、ナイキとはどんな会社なのかと考えて「"勝つこと"だ。どんなことがあっても、私は負けたくない。負けることは死を意味する」と書いているように、手段を選ばないナイキの経営姿勢をもう少し調査してみようと思います。ナイトさん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言

・彼ら(日商)の融資の一部を、海外から届くシューズの買い取りではなく、エクセターの工場の経営に内緒で回していたことがバレるのだ(p379)


・元米兵の2人は、それなら日本でのビジネスをする時の心得を教えておこうと言った・・・「コツは、ごり押ししないことだ・・・無作法に大声で攻撃的に振る舞わず、ノーと言わないことだ・・・間接的に表現する文化なんだ(p34)


・オリンピック予選・・・USC(南カルフォルニア大学)の砲丸投げ選手、デイヴ・デイヴィスが初日に店に立ち寄って、アディダスやプーマから無料でシューズをもらえないとこぼし、喜んで私たちのシューズを履いてくれた。そして見事に4位の入賞した・・・(p298)


・円の変動とあわせて、日本で多くの製品を作っていた会社は先行きが不安定になった・・・次は台湾だと私は踏んでいた。日本の崩壊を察した台湾当局は、来たるべき空白を埋めようと急速に体制を整え、猛スピードで工場を建てていた(p357)


▼引用は、この本からです
「SHOE DOG(シュードッグ)靴にすべてを。」フィル・ナイト
フィル・ナイト、東洋経済新報社


【私の評価】★★★★☆(89点)


目次

夜明け アスリート人生
1962 オニツカとブルーリボン
1963 会計士として
1964 レジェンド・バウワーマン
1965 巨漢ヘイズ
1966 手紙魔ジョンソン
1967 ウッデルの参加
1968 ペニーとの結婚
1969 フジモト
1970 8000ドルの借金
1971 ナイキ・ブランド誕生
1972 シカゴの展示会
1973 偶像を破壊する
1974 専属弁護士ストラッサー
1975 日商岩井
1975 プリとの別れ
1976 バット・フェイス
1977 ゴールラインは存在しない
1978 2500万ドルの請求
1979 中国進出
1980 株式公開
夜 死ぬまでにしたいこと



著者経歴

フィル・ナイト・・・ナイキの創業者。1938年生まれ。オレゴン州ポートランド出身。オレゴン大学卒業。大学時代は陸上チームに所属。中距離ランナーとして、伝説のコーチ、ビル・バウワーマンの指導を受ける(バウワーマンは後にナイキの共同創業者となる)。1年間のアメリカ陸軍勤務を経て、スタンフォード大学大学院に進学。MBA(経営学修士号)取得。1962年、オレゴンの「ブルーリボン・スポーツ」社の代表として日本のシューズ・メーカーであるオニツカを訪れ、同社の靴をアメリカで売るビジネスを始める。その後独自ブランドの「ナイキ」を立ち上げ、社名もナイキと変更。創業メンバーたちとともに、スポーツ用品界の巨人、アディダスとプーマをしのぐ企業へと同社を育て上げる。1964年から2004年まで同社のCEO、その後2016年まで会長を務める。妻ペニーとオレゴンに暮らす。


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