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「経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く」 牧野 邦昭

2019/08/08公開 更新
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経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く (新潮選書)

【私の評価】★★★☆☆(76点)


■なぜ日本は英米と戦争をすることに
 なってしまったのか、
 調査した一冊です。


 結論から言えば、英米との国力の差が
 20対1、10対1くらいあることは
 だれでも知っていた。


 ドイツがソ連に短期間に勝利しないと
 食糧や石油が不足して、
 戦争継続が難しいことも知っていた。


 ただ、在米日本資産凍結と対日石油全面禁輸は
 確実に日本の国力を低下させるものであり、
 選択しにくかった。


 一方、英米との戦争は、
 長期的には勝ち目はないかもしれないが
 初戦で優勢になれば万が一にも
 英米が停戦に応じる可能性があるかもしれない。


 病気で言えば確実な死と、無謀な手術。
 日本の指導者は、確実な死よりも
 無謀な手術を選んだというのです。


・森山優氏の言葉を借りれば「・・どうなるかわからないにもかかわらず選ばれたのではなく、ともにどうなるかわからないからこそ、指導者たちが合意することができたのである」(p169)


■歴史を振り返れば、
 英米との開戦を回避し
 決断を先延ばしにするという選択肢も
 あったのかもしれません。


 中途半端に日本が戦力を
 持っていたのが悪かったのか。


 陸軍、海軍、総理、外務省と
 船頭が多く、全権掌握する人が
 いなかったのが問題なのか。


 そのときの指導者が責任を
 問いたいと思いますが、
 「負けるのはわかっていた」と
 言われるかもしれません。


・五百旗頭真氏の言葉を借りれば・・・「・・在米日本資産凍結と対日石油全面禁輸はあまりにも明白かつ確実な日本の死を意味した。文字通り「必死」であった。それと比べれば、万に一しかない対米戦争の勝算すらも、不確定要素が残されているだけ、まだ可能な選択なのである」(p161)


■現在のイランも北朝鮮も
 経済制裁に対して決断を先延ばしし、
 開戦を回避しています。


 あまり強烈な制裁をすると
 暴発するかもしれません。
 実はそれがアメリカの
 狙いなのかもしれませんが。


 牧野さん、
 良い本をありがとうございました。


───────────────


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・日本の輸入は「満支円ブロック」(日満支経済ブロック)からは23%強にすぎず、77%弱は第三国からであった。そして第三国からの輸入のうち81%強が英米依存であり、しかも「米ブロック」からの輸入が52%強を占めていた(p66)


・日本班の報告・・開戦後の国力見通しの厳しさを知っていた陸軍側にとっては予想どおりの結論であったと考えられる。ただ、報告会後に「ご苦労さんでした」という形で行われた会食で陸軍側の一人は「戦争というものは、四分くらい勝つ見込みがあったらやるもんだ」と述べ、中山は「あれには、まったくまいったね」と回想している(p68)


・陸軍省整備局戦備課長の岡田菊三郎大佐は昭和17年3月に「朝日新聞」一面で連載された「大東亜建設座談会」に出席している・・日本の経済力の脆弱性を熟知していた岡田の本心は恐らく最後の部分「相手の底力は相当のものだから皇軍が南方諸地域を占領しただけで、余り甘く相手を見くびってしまうべきでない」だったと考えられるが、立場上こういう発言をせざるを得なかったのだろう。この座談会記事の見出しは「船が沈めば英も沈没、粘りは米が弱い」であった(p118)


・これから戦争をしようとする英米と日本との間で巨大な経済格差があり日本が長期戦を戦うことは難しい、というのはわざわざ調査するまでもない「常識」であり、一般の人々にも英米と日本の国力の隔絶は数字で公表されていた(p149)


・独逸(ドイツ)経済抗戦力調査・・ドイツは既に労働力の限界に達しており、また食糧不足に悩んでおりこのままでは占領地の不満も高まっていく・・したがってドイツにとってソ連の労働力とウクライナの農産物を利用することが絶対に必要である。このため独ソ開戦直前にはドイツはウクライナから大量の小麦の供給を求めていた。また石油も不足しており・・バクー油田を有するソ連に求めざるを得ない・・対ソ戦が、万一長期化し、徒(いたず)らに独逸の経済抗戦力消耗を来すならば・・一層加速度的に低下し、対英米長期戦遂行が全く不可能となり、世界新秩序建設の希望は失われる(p97)


・秋丸次郎は回想で、秋丸機関による上層部への報告後、軍事課長として秋丸機関の設立を命じ、その後渡米して日米交渉に加わっていた岩畔豪雄(いわくろひでお)が「現地で入手した米国の経済調査報告」を携えてアメリカから帰国し、その内容は「日米経済戦力の総合判断を10乃至20対1程度と断定していて、われわれ調査結果と符節を合することが明らかとなった。そこで、和平推進派の岩畔大佐に進言して、16年8月中下旬にかけて、政府・大本営連絡会議に対して委細説明して、開戦に対して慎重なる考慮を促した」と書いている(p137)


・当時軍務課長だった佐藤賢了が、昭和33(1958)年に陸上自衛隊幹部学校の教官に対して行った講演の中で、「情勢の推移に伴う帝国国策要領」について「日本には、ピシャッと一手に握るものがおらんのです。陸軍と海軍、それから総理、ならびに外務省という3つのものがおのおの違った意見をいだいてこんな文句の上で妥協しているのです」・・南進すべきか、北進すべきか、または戦争回避かという様々な意見を何とでも解釈できるようにまとめた作文が「情勢の推移に伴う帝国国策要領」であった(p124)


・例えば、以下の二つの選択肢のうちどちらが望ましいかという問題を考える。
 a. 確実に3000円支払わなければならない
 b. 八割の確率で4000円支払わなければならないが、二割の確率で一円も支払わなくてもよい(p153)


・高橋是清蔵相は健全財政に回帰しようとしたが昭和11年の二・二六事件で暗殺され、事件後に成立した広田弘毅内閣は軍事費予算の大幅な増額を受け入れ、一層の財政膨張が進むことになった(p41)


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■目次

第1章 満洲国と秋丸機関
第2章 新体制運動の波紋
第3章 秋丸機関の活動
第4章 報告書は何を語り、どう受け止められたのか
第5章 なぜ開戦の決定が行われたのか
第6章 「正しい戦略」とは何だったのか
第7章 戦中から戦後へ


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