「フリーバード 自由と孤独」谷口 浩
2018/07/23公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★★(94点)
要約と感想レビュー
著者は、上海の大学を中退して、香港の不動産会社に就職するもタイで不良外国人とプータロー生活を送ります。当然、金がなくなり、父親の建設会社に入社するも1200ccのバイクで家出。そこから中国の上海から技術者を研修目的で来日させる会社を立ち上げ、数億円の売り上げで調子に乗るのです。
ところがこの頃、事業が順調で高収入で、広い家に住み、海外旅行にも何度も行っていたのに、鏡に映った自分の顔が殺人犯のように感じたという。著者はおお金持ちになって、なぜか急に不安になったのです。
・外国人技術者の研修というと本当は教育目的の仕組みですが、中国上海市の国営企業からの技術研修という建前で、人材不足の日本のカーテン製造業を立て直すというのが真の目的です(p186)
そうしたときに、スピード違反で運転免許一発停止。ならば裏技を使って、国際免許証を取って車を運転できるようになろうとフィジーに渡ります。するとフィジーはとても良い国で、それまで眉間にシワがよっていたのにフィジーでは笑顔でいられたのです。
そこで著者はフィジーへの留学ビジネスを立ち上げることにしたのです。フィジーでは、親戚や友達がお金を借りにくれば、自分の持っているお金のすべてでも差し出すし、反対に借りようと思えば、いくらでも近所で借りることができるという。著者と同じように、日本から来た高校生たちが、フィジーで人生観が根底から変わるのを見るのが、最高に気持ち良いと言っています。
・たった1週間しかいなかったフィジーで、僕は毎日ずーっと笑っていたのです・・・そのとき僕の心の中に、フィジーという誰にでも馴れ馴れしい人々が暮らす国に住んでみたいという気持ちが湧いてきたのです(p63)
さらにそこから荒れたフィジーの国立高校の建て直しに取り組みます。フィジーに金がないなら、留学生を受け入れてその留学資金で高校の授業料を無料にしてしまおう!というアイデアを実現してしまうのです。学生寮は1泊300円、12カ月滞在しても10万円。そこに授業料や入学金を足しても87万円で1年間語学留学することができるのです。
実際、フィジーの高校を卒業すると、英語圏の大学に進学する際、通常日本人学生に義務付けられているTOEICやIELTSの成績提出が免除になる大学も多く、日本の大学に進学する際に「帰国子女枠特別試験」や「AO特別試験」で入学試験を特別枠で受験できるというメリットがあり、好評だという。
それにしても、フィジーという国はとても治安の良い国なのに、留学のための海外旅行保険の保険料は、治安の良い国でも戦争が勃発しているような国でも、まったく同額ということに頭にきて、「そうだ!フィジーに保険会社を作ろう!」と保険会社まで作っています。もうわけわからん。
アイデアと行動力がすごい!と思いました。そしてフィジーに行ってみたい。谷口さん、良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・韓国人学生にはインド系家庭のホストファミリーをアレンジしていたのですが、ものすごくトラブルが多かった・・・どちらも自己主張が強いことでした・・・韓国人学生には学生寮か、協調性の高いフィジー系家庭をアレンジするようになり、トラブル激減しました(p81)
・僕はタガバが言っていたように「自分は十分に満たされて幸せだから、誰かを助けたかったら、そうじゃない人を助ける」ことにしたのです(p149)
・「悪いことは良いことの前兆、良いことは悪いことの前兆」と考えれば良いのだと思います(p205)
中央公論新社
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【私の評価】★★★★★(94点)
目次
スピード違反
初めてのフィジー
ピンチはチャンス!
スクール☆ウォーズ
FBI対CIA
聖人・善人・俗人―タガバ・コナテとセント・アガタ
ノー家出・ノーライフ
「何ができるんだ?」を考えろ!
フィジー国籍に!フィジーで国会議員に!
株式上場へのリベンジ
日本人やめました
仕事ってなんだ?
著者経歴
谷口浩(たにぐち ひろし)・・・1972年生。福井県出身、東京都在住。高校卒業後、中国政府のスカラシップを活用し、上海の同済大学応用物理学部に進学。2年の時に建築学部に転部、4年の時に中退。その後、香港の不動産会社、タイの建築会社にて勤務。97年、アジア経済危機の影響をで帰郷。父が経営する建設会社に入社するも、1年半で辞職。同時に財産放棄の書類に判を押す。その後、石川県金沢市にて中国人労働者向けに日本語教育等を手がけ、国内企業への人材を提供することを主な事業とする協同組合を設立。4年間で売り上げ3億8000万円の規模まで成長させたのち辞任。04年3月、フィジー諸島共和国での語学学校の運営を経営の柱とした (株)South Pacific Free Birdを設立。10年には、フィジー政府より任された、運営が立ちゆかなくなった国立高校の再建に着手。並行して、日本人高校生の受け入れも始める。10年間で受け入れた留学生はのべ15,000人を超える。13年12月には株式公開を済ませ、15年2月末には南太平洋証券取引所に上場した
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