日本女子バレーを育てた秘密「力を引き出す―どん底から個人と組織を甦らせる」
2012/08/15公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(76点)
要約と感想レビュー
■柳本監督は2003年から2008年まで
6年間全日本女子バレーを率いました。
柳本監督が全日本監督となった時点で
女子バレーボールは
2000年 シドニー 予選敗退
2002年 世界選手権 予選敗退
と低迷していました。
柳本監督就任以後は、
2004年 アテネ 5位
2008年 北京 5位。
そして、
2008年からは後輩の眞鍋監督へ引継ぎ、
2012年 ロンドンオリンピックでは 3位
今回は、見事銅メダルを獲得しました。
柳本監督が全日本女子バレーボールの
基礎を築いたといっていいのでしょう。
・"世界一"に目標を置かなければ、はいあがることなどなかなかできるものではない・・はじめにまず目標ありきそれが私の信条であった(p46)
■柳本監督が行ったのは、
選手の選抜方法を変えたこと。
それまでは国内No1チームを中心に
選抜していたものを
個人の力量で選抜したのです。
バレーではコンビネーションが大切であり、
ばらばらの選手を集めただけでは、
強くなりません。
長期間の合同練習も必要になる。
手間はかかるけれども、
力のある選手を集め、
競い合うことで力を
高めようとしたのです。
・全日本女子チームは、・・そのときどきのナンバーワン・チームの選手を中心に構成されていた・・・必ずしもトップアスリートが全日本に選ばれるわけではない」という現実を意味していた(p65)
■この本で驚いたのは、
柳本監督の苦労話です。
高校ではナンバーワン
アタッカーと言われながら、
日本一になれなかった。
新日本製鐵では、実業団負け知らずの
実績を出し、実力がありながら、
オリンピックではプレーできなかった。
日新製鋼の監督になり、
予算も選手もいない中で
Vリーグ昇格まで急成長させたところで、
圧力がかかり廃部。
東洋紡の女子チームの監督となったら、
女子選手の総スカンをくらい
24名の選手が4名になってしまう。
そこから女の子の気持ちを大切にし、
Vリーグ連覇するなど調子に乗って
きたところで、また廃部。
ほぼうつ病状態のなかで、
全日本監督のオファーがきたのです。
・「男が直接女を動かそうとする」から失敗するのである。大事にしなければいけないのは、選手たちの心である・・選手の代表である吉原を通じて動かすようにした(p122)
■「人生、山あり谷あり」といいますが、
本当にあるんですね。
谷のたびに学んで山に登ってきた
柳本監督でした。
柳本さん、良い本を
ありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・ベテランと若手の激しいせめぎあいが、チーム内で演じられているのである。だからこそ、強くなるのである(p53)
・私が水槽の中に呼び戻した吉原と竹下と高橋。くしくもこの三人は、じつはバレーボール協会から「使うな」と釘を刺されていた選手たちだった(p63)
・「組織を束ねるには、トップの三人をおさえておけばいい」・・上の三人をしっかりつかまえておけば、単純に三×三で九人を掌握したのと同じになるわけだ(p68)
・監督というものは、どんな事態が生じてもチームが総崩れしないよう、あらゆる方策を考えている・・・「この選手が使えなくなったら、あの選手を使おう」「そのためにはこういう練習をしておく必要がある」(p138)
・朝昼晩の練習のあと必ず居残りをして、毎日サーブを1000本打った。・・・それでも、猫田さんの壁は越えられなかった・・(p159)
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