「ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書」石光真人
2010/09/18公開 更新本のソムリエ [PR]
Tweet
【私の評価】★☆☆☆☆(58点)
■明治維新で会津を追われた会津の上級武士柴五朗の
遺書の現代語訳です。
今でも会津の人は、薩長が嫌いなようですが、
時代が犠牲を求めていたとはいえ、
祖国を蹂躙されただけではなく、下北の極寒の地に
移民させられたのは悲惨だったようです。
・建具あれど畳なく、障子あれど貼るべき紙なし。
板敷には蓆を敷き、骨ばかりなる障子には
米俵等を藁縄にて縛りつけ戸障子の代用とし、
炉に焚火して寒気をしのがんとせるも、
陸奥湾より吹きつくる北風強く部屋を吹き貫け、
炉辺にありても氷点下十度十五度なり。(p62)
■九州の人には、マイナス十度といっても
わからないでしょうから、ぜひ、
沖縄や九州が中華人民共和国の自治区となったら、
下北半島に移住してみるといいと思います。
(私は青森県出身なので、わかるのですが・・・)
━━━━━━━━━━━
■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・9月27日、会津藩主にたいし、祖先の祀りをなすため
南部の地を割きて三万石を賜うの恩命あり。
その初め猪苗代か陸奥の国かにつきて意向を
訊ねきたれるも、猪苗代は旧領の一部にて
経済的にも精神的にも受け入るること
能わずとの議多く、未知の地とは申せ宏大なる
陸奥に将来を託するが良からんとの議まとまりて、
徳川慶喜、松平容保以下の罪を免ずとの詔勅下る(p50)
・やれやれ会津の乞食藩士ども下北に餓死して絶えたるよと、
薩長の下郎武士どもに笑わるるぞ、生き抜け、
生きて残れ、会津の国辱雪(そそ)ぐまでは生きてあれよ、
ここはまだ戦場なるぞ」と、父に厳しく叱責され・(p75)
・封建の絆より解き放たれて自由なりとはいえ、
いまだ世に殖産の業興らず、
さりとて官界は薩長土肥四藩の旧藩士に要所を
占められ入りこむ隙間なし。(p104)
中央公論新社
売り上げランキング: 5589
【私の評価】★☆☆☆☆(58点)
読んでいただきありがとうございました!
この記事が参考になった方は、クリックをお願いいたします。
↓ ↓ ↓
人気ブログランキングに投票する
メルマガ「1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』」 40,000名が読んでいる定番書評メルマガです。購読して読書好きになった人が続出中。 >>バックナンバー |
配信には『まぐまぐ』を使用しております。 |
お気に入りに追加|本のソムリエ公式サイト|
コメントする