「たった一人の30年戦争」小野田 寛郎

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たった一人の30年戦争

【私の評価】★★★★☆(84点)


●フィリピンでゲリラとして戦後30年間
 戦争を続けた小野田さんの話を聞くと、
 戦前の日本のイメージが湧き上がってきます。


 ・なぜ生きて帰った私だけがこんなに歓迎されるのか。
  戦争で死んだ仲間はどうなのか。
  私は遅まきながらも国家の恩恵を受けた。
  だが、死んだ仲間は非道な戦争の加害者のように
  社会から疎んじられている。戦友たちは
  国家と悠久の大儀を信じて死んだのだ(p210)


●明治の人は偉かった、
 昔は良かったというような話をする人がいます。


 確かに、昔のほうが良い点もあったでしょう。


 しかし、長い目で見れば、
 社会とういうものは進歩しているように
 感じられました。


●昔の日本は、相対的に貧乏であり、
 植民地を持つことが富を増やす手段であったわけです。
 現在は、モノを生産することで、富を増やすことが
 できるようになりました。


 ・祖国は、「敗戦」が信じられないほど高度成長、
  経済大国として繁栄を謳歌していた。
  あの戦争は、国が貧乏し国民が食えなくなって
  始めたものである。(p12)


●しかし、戦前の「命を惜しむな」という風潮は、
 現在でもその余韻が残っているように感じられます。


 年間、3万人とも言われる自殺数が
 それを物語っています。


 ・戦前、人々は「命を惜しむな」と教えられ、
  死を覚悟して生きた。
  戦後、日本人は「命を惜しまなければならない」
  時代になった。
  何かを"命がけ"でやることを否定してしまった。
  覚悟をしないで生きられる時代は、いい時代である。
  だた、死を意識しないことで、
  日本人は「生きる」ことをおろそかに
  してしまってはいないだろうか(p235)


●30年という時を超えて、戦争中の日本から
 平和な国に帰国した小野田さんの目を通して、
 戦前の人々の考えを知ることのできる良書として
 ★4つとしました。


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


 ・小野田さんは日中国交回復
  (昭和四十七年九月)を知っていますか。
  いままで仲良くしていた台湾を切って、
  中共(中国)とつながるのは人間の信義に反する。
  小野田さんの写真を撮って日本政府に見せ、
  居場所を教えることを条件に日台関係を
  改善させる。(鈴木紀夫)(p229)


たった一人の30年戦争
たった一人の30年戦争
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小野田 寛郎
東京新聞出版局 (1995/08)
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おすすめ度の平均: 4.75
5 やっぱり小野田さんはすごいと思う・・・
5 事実は小説よりも奇なり
5 生きるとはどういうことか

【私の評価】★★★★☆(84点)



●著者紹介・・・小野田 寛郎

 1922年生まれ。1939年、旧制中学を卒業。貿易商社に就職、
 中国・漢口(現在の武漢)支店勤務。1942年、和歌山歩兵第61連隊
 入隊。1944年久留米第一予備士官学校入校。陸軍中野学校二俣分校
 で訓練の後、フィリピン戦線へ。以後30年、任務を遂行。1974年、
 鈴木紀夫氏と遭遇し、祖国に帰還。1975年ブラジルに渡り、
 牧場を開拓、経営。1984年、子供キャンプ「小野田自然塾」を開く。


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