「決定版 2039年の真実」落合 信彦
2003/05/25公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(87点)
要約と感想レビュー
■1963年11月22日、ケネディがダラスで
暗殺された朝、リチャード・ニクソンは
ダラス空港をニューヨークへ向かっていた。
その後、ニクソンはウォーターゲート事件で
失脚することとなるのだが、その実行犯は
ピッグス湾作戦に参加したCIA要員であった。
マフィアを駒として使っていたCIAが、
ケネディ大統領暗殺の裏にいるというのが
落合さんの推理です。
・ケネディに対しては、敵は弱く作戦は絶対に成功すると保証しておいて、アメリカ軍のフル・コミットメントを約束する。完全なダブル・トーク(二枚舌)だ。「だから、大統領が、第二回目の爆撃を中止させた時、CIAは大いに慌てたのだ(p172)
■ケネディ大統領は、
敵を作ることをいとわない人でした。
キューバ攻撃を中止し、
ソ連と和解する。
米国の核、軍備を削減する。
CIA長官に弟を指名する。
軍産複合体の堪忍袋の緒が切れるのは、
時間の問題だったのです。
・ケネディのとった政策は、一貫して軍やCIAの考えとは相容れなかった。軍産複合体の産の部分を構成する2万2千の企業群にとって、ケネディの緊張緩和政策が維持されれば、それは彼らの死活にかかわることを意味していた(p189)
■2039年になれば、
重要書類が公表されることに
なっています。
死ぬ前にその書類を
見てみたいものです。
落合さん、
良い本をありがとうございました。
この本で私が共感した名言
・オズワルドのような下級エージェントを使う時、CIAは常に彼らとは全く関係のないような人間を使う。これをカット・オフという(p97)
・暗殺の証人や、それに何らかの関係があった者達が、自殺、事故、他殺によって、16人も死んでいく(p244)
・オズワルドの逮捕された時点から死に至るまでの間、調書がまったくとれていかなった・・・弁護士をつけなかったことといい、調書をとらなかったことといい、すべて初歩的なミスばかりだ(p116)
▼引用は下記の書籍からです。
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【私の評価】★★★★☆(87点)
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