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「ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神」水間 政憲

本のソムリエ 2018/01/17メルマガ登録
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ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神


【私の評価】★★★★★(90点)


要約と感想レビュー

■日中戦争当時の報道写真を
 集めた一冊です。


 朝日新聞の「アサヒグラフ」、
 現在の毎日新聞の「支那事変画報」からの
 写真が中心となっています。


 当時の中国には各地の軍閥が
 内戦状態にあり、
 市民は治安の乱れに困窮していました。


 治安を回復してくれる日本軍を
 中国の人々が歓迎しているように
 見えます。


 軍事的進出を肯定的に書きたい
 新聞社の考えも反映されていると思いますが、
 それでも日の丸の旗を掲げる
 中国の人たちは不思議な感じがしました。


・1939年(昭和14年)頃になると、日本軍の軍紀の厳しさと「治安を回復してくれる」と中国各地に口コミで浸透したことにより、行く先々で「日の丸」で歓迎されていたのです(p12)


■日本軍が中国への進出していったのは、
 もちろん経済的な理由もあったでしょう。


 また、中国の軍閥からの挑発が
 絶えなかったということもあるでしょう。


 現在の中国と同じように、
 日本人を襲撃したり、領事館に攻撃を
 加えるという事件が多発。


 それに対し、欧米のような
 厳しい対応ができない日本は
 中国としては扱いやすい
 対象であったようです。


・蒋介石が率いる国民革命軍が、北伐の途中の1927年3月24日、南京城に入城すると、暴兵と暴民が外国領事館と居留民を襲撃し、略奪・暴行・破壊をし始めたので、英国と米国は、揚子江に碇泊していた軍艦から南京城内へ砲撃して鎮圧しましたが、我が国は揚子江に駆逐艦が碇泊していましたが砲撃することなく駐在武官も、「尼港事件」の再来を危惧した領事などの指示に従って隠忍自重したがために、掠奪・破壊だけでなく居留民への暴行など酸鼻を極め、日本領事夫人まで凌辱される大事件に発展しました(p15)


■時代は繰り返すのだなあと、
 思いました。


 当時も、日本は外国の挑発に
 直面していたのです。


 注意すべきは、こうした日本人として
 正しいと考える武士道を通した日本が、
 敗戦したということです。


 なぜ、日本の仲間がナチスだったのか。
 なぜ、中国、ソ連、アメリカと戦うことに
 なってしまったのか。


 どこで間違ってしまったのか、
 歴史を反省する必要があるのでしょう。


 水間さん
 良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・日本側の「軟弱な対応」は、国民革命軍を増長させ「漢口事件」(1927年4月3日)を誘引しました。この事件も南京のときと同じく、暴兵と暴民が漢口の日本租界を襲い、掠奪・暴行・破壊を行い、被害は150戸に及びました(p16)


・通州邦人大虐殺事件・・1937年7月29日:通州「特務機関員全員が戦死し、在留邦人385名中、女性、子供を含む223名が陵辱され惨殺された。あるものは耳や鼻を削がれ、女性は陰部に丸太を突き刺された、あるいはワイヤーにつながれ裸にされ、池に投げ込まれた。・・中国人の伝統的な殺戮が行われたのです(p91)


・このページの写真は、アイリス・チャンが「日本軍が女性や子供を狩り集めて売り飛ばした」と、キャプションをつけていた有名な写真です。これらの写真は、『アサヒグラフ』に「硝煙下の桃源郷・江南の『日の丸部落』」との特集ページに掲載されていたものです・・下の村から上の畑への送り迎えを日本軍が護衛していた微笑ましい途中の写真だったのです(p68)


・『大阪朝日新聞』(1933年7月31日付)の記事・・1915~24年に、中国へ与えた「借款」など約10億円(現在の貨幣価値で三兆円)が、返却されなくなっていると報道していました。これは、責任をとれる統一国家がなかったことを物語っています。我が国は、日清・日露戦争で国際的に認められていた中国との条約を、ことごとく無視されただけでなく、内政の矛盾点を反日宣伝、反日教育、日本製品排斥などで逸らし、それでも日本が隠忍自重していると、日本の居留民に、掠奪から暴行・虐殺までエスカレートする状態だったのです(p8)


・食料の支給に殺到した避難民・・「アサヒグラフ」(昭和14年(1939年)3月8日号より・・上海や漢口など都市部では、日本軍の勢力下になったことを聞きつけた難民が続々押し寄せ、日本軍は国連の難民救済業務のように忙殺されていたのです(p40)


・経済封鎖によって困窮していた我が国に・・チベット政府は「大量の羊毛」を拠出してくれていたのです・・我が国が敗戦したために、日本と外交関係を継続していたチベットは連合国側から「敗戦国扱い」されることになったのです(p49)


・洞富雄教授は、2006年9月24日、南京市の南京大虐殺記念館から、「南京大虐殺」普及に貢献したとのことで、本多勝一・元朝日新聞記者とともに表彰されています(p85)


・本多勝一・元朝日新聞記者は、自著「中国の日本軍」の第4部「南京大虐殺」の中で「婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪姦は7,8歳の幼女から、70歳を越えた老女にまで及んだ」と、捏造キャプションをつけ、通州の虐殺写真と思われるものを掲載していました(p68)


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目次

第1章 中国民衆から歓迎された武士道精神
第2章 南京を甦らせた武士道精神
第3章 平和を取り戻した中国



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