「八甲田山死の彷徨」新田 次郎
2009/04/05公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★★☆(83点)
■「天はわれ等を見放した!」で有名な
199名の死者を出した八甲田山雪中行軍を
描いた小説です。
弘前から出発した徳島大尉の小隊は
八甲田雪中行軍を成功させ、
一方、青森から出発した神田大尉中隊は
199名の死者を出しています。
■当時は、ロシアとの戦争を控えながらも、
まだ寒気に対する装備が十分ではなかったため、
寒気の中での軍事行動の実験として
八甲田山雪中行軍が行われました。
同時期に行われた雪中行軍ですが、
成功と失敗の差は
どこにあったのでしょうか。
■まず、徳島大尉は、上司に対し、
雪中行軍の危険性を指摘し、
「すべてをおまかせ願いたいのです」と
上からの口出しに釘を刺しています。
しかし、一方の神田大尉は、
上司である山田少佐の機嫌を伺いながらの
計画立案になってしまいました。
そのために、案内人を同伴できず、
出発までの時間も少なく、
天候悪化による出発延期もできず、
不幸な結果となったのです。
■私は、上司の機嫌を伺う優柔不断な
神田大尉を否定できません。
私の経験でも、山田少佐のように
まったく部下の意見を聞かない人が
実際に存在します。
そして、そうした人に限って、
自分の考えに自信満々で、
それを否定されるのをとても嫌がるのです。
■神田大尉は、心に不安を持ちながらも、
上司という権威の前に
自分のやりたいことができませんでした。
神田大尉は、「天はわれ等を見放した!」と叫びましたが、
山田少佐と一緒に仕事をすることとなり、
山田少佐に対して意見できなかった時点で、
運命は決まっていたのでしょう。
■「明日は我が身」という言葉が響く、怖い小説でした。
実際にありそうなのが、本当に怖いので、
★4つとします。
─────────────────
■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・当時の将校の履歴を見ると
ほとんどが士族又は華族出身であり、
平民で将校になれたものは非常に珍しかった(p15)
・「軍隊の監獄は普通の監獄より恐ろしいところだそうだ」
誰かがそんなことをいうと、他の者は、そこからみんな
揃ってその監獄へ行くかのように震えるのだった(p210)
▼引用は、この本からです。
新潮社
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【私の評価】★★★★☆(83点)
■著者経歴・・・新田 次郎(にった じろう)
1912年生まれ。1980年没。
中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験
56年「強力伝」で直木賞を受賞。
「縦走路」「孤高の人」「武田信玄」など著書多数。
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