「現代語訳 十牛図」水野聡(訳)
2016/04/03公開 更新本のソムリエ [PR]
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【私の評価】★★★☆☆(72点)
■中国の宋の時代の廓庵師遠(かくあんしおん)禅師
『十牛図』の現代語訳です。
ここの牛とは、自分の内なるセルフでは
ないでしょうか。
"己を知れ"ということが、
実に難しいということです。
■人の道というものは、
どこかにあるはずです。
もちろん自分自身を
活かす道もあるはずです。
廓庵師遠禅師、
良い本をありがとうございました。
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■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・真の自己は、鉱石から製錬された金や
雲から出た月のごとく輝いている(p55)
・鞭も綱も、人も牛も、
ことごとく空となった(p62)
・じっと座って、
万物のありのままの盛衰を
観るのみ(p67)
【私の評価】★★★☆☆(72点)
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■目次
第1 尋牛―牛、すなわち真の自己を探す旅に出る
第2 見跡―牛の足跡を見出すこと。足跡とは悟りの手引きとなる経典や古人の公案の類を意味している
第3 見牛―牛の姿をかいま見ること。教えに導かれて、悟りが少し見えた状態
第4 得牛―力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの端緒を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿
第5 牧牛―牛を手なずけること。悟りを自分のものにするための修行を表す
第6 騎牛帰家―牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿
第7 忘牛存人―家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中に根づいている
第8 人牛倶忘―すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然に融合してしまう
第9 返本還源―原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りにより、それを妨げていた障碍が取り除かれたのだ
第10 入てん垂手―悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を救い導くことを表す
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