「崩壊 朝日新聞」長谷川熙

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崩壊 朝日新聞

【私の評価】★★★★☆(80点)


■朝日新聞系列の雑誌「アエラ」の編集者として
 朝日新聞の近くで仕事をしてきた
 長谷川さんの一冊です。


 長谷川さんの思いは、なぜ朝日新聞は、
 従軍慰安婦を裏取りせずに報道し続け、
 元社員である松井やよりは、
 女性国際戦犯法廷という慰安婦問題を
 国際的に裁く活動をNHKを巻きこんで
 行うことができたのか。


 国連の中にも、日本国内の動きに連動して、
 日本軍の過去の過ちだけを批判する
 動きがあるのはなぜなのか。


■長谷川さんの取材では、状況証拠により、
 日本共産党が関係しているのではないか、
 という仮説を立てています。


 朝日新聞内ではソ連派と中国派が
 対立するほど、左翼の勢力が
 幅を利かせ、出世していた。


 慰安婦の嘘の証言を行った吉田清治は、
 日本共産党から選挙に立候補していた。
 

 吉田清治と朝日新聞の北畠清秦は、
 連絡をと取り合っているところを
 著者は目撃した。


 朝日新聞論説委員北畠清秦は、
 慰安婦を裏どりせずに事実と認定し、
 矛盾を指摘する投稿を非難しているが、
 若い時、日本共産党に入党しようとしていた。


 スパイ防止法のない日本では限界があるかも
 しれませんんが、長谷川さんに
 頑張っていただきたいと思います。


 長谷川さん
 良い本をありがとうございました。


───────────────


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・1989年(平成元年)に、沖縄県の西表(いりおもて)島海域の貴重な巨大珊瑚に朝日新聞東京本社の写真部員が自分で傷をつけ、その写真に、自然破壊の加害者を激しく叱りつけ、嘆く文を同本社記者が書いて添え、それが同年4月20日付の夕刊一面に掲載されたところ、読者の不審が端緒となってこの自作自演が発覚し、その責任を取って政治部出身の社長一柳東一郎が辞任した・・その責任を問うならば、東京本社編集局長がその職を解かれればいいことだ・・当時の代表取締役編集担当の中江利忠が俎上に乗せられるべきであった・・しかし、その中江が一柳の後任の社長に就いた。この件を河谷は、慰安婦虚報事件の処理の不始末で社長の木村伊量が辞めた後任にその不始末の第一の責任者であるはずの取締役編集担当の杉浦信之が昇格するがごとき悪質、滑稽な顛末だったとみる(p23)


・幹部OBによると、実際に、中江を社長に就かせると同時に佐伯を編集担当にする人事も「あの時」首脳部で進められたが、これに対して中江が「あれ(佐伯)は右翼だから駄目だ」と主張し、ある首脳から「思い上るな」とたしなめられた事実があるという。非ないし反マルクス主義者だと「右翼」と呼ばれがちなのが、この新聞社の偽らざる実体だったのだ(p26)


・吉田清治の履歴を他の人と共に綿密に調べたことがある現代史家の秦(はた)郁彦は、彼の人生が嘘で塗り固められていることを発見したが、確かにこの「ひと」欄をみても、朝鮮人の社会主義者を飛行機に乗せたために軍法会議で懲役二年とか荒唐無稽すぎて、どうしてこんな記事が最終版の紙面にまで載り続けたのかと思わざるをえない(p40)


・秦(はた)は吉田清治の前出の本を読み、すぐおかしいと思った。そこに書かれている日本の指揮命令系統がでたらめなのだ。「労務動員(女性狩り)」の「命令書」なるものが陸軍の西部軍司令部から山口県労務報国会へと伝達され、しかも動員の地区をわざわざ朝鮮・済州島と指定している。天皇の統帥大権に基づく軍令、あるいは天皇の国務大権による戒厳令が発動されようと、従軍慰安婦の強制連行のごときは想像外だし、ましては西部軍司令部が、その内容がなんであろうと山口県労務報国会という軍組織でない文民の団体に命令を出す権限はない。しかも、朝鮮内のことは朝鮮総督府が行い、山口県労務報国会ごときがそこへ出て行って勝手なことはできない(p44)


・秦(はた)郁彦は・・『私の戦争犯罪』の出版元の三一書房に出版の経緯などを聞こうとしたら、対応した人から「あれは小説ですよ」と言われ、呆気にとられた・・1992年4月30日付の産経新聞は秦のこの現地調査結果を報道し、秦は翌5月1日発売の雑誌『正論』六月号にその調査記をしたためた・・前述のように朝日新聞社は吉田証言を82年に初めて紹介した・・朝日新聞社はその後も、吉田証言を真実とみなしてか、この人物を取り上げ続ける(p45)


・朝日新聞論説委員北畠清秦は、92年1月23日付夕刊と同年3月3日付夕刊の、論説委員が書く「窓」で吉田証言についてこう書いた。論説委員といういかめしい肩書によって吉田証言にお墨付きが与えられているのだ・・

従軍慰安婦を強制連行した吉田清治さんの告白が、この欄(1月23日付)で紹介された。その後、たくさんの投書をいただいた。去年、本紙と朝日放送が協力して進めた年間企画『女たちの太平洋戦争』にも、投書が相次いだ。担当者と話していて気づいたことがある。それは、日本軍の残虐行為はなかったとか、公表するなという人の論拠には、共通する型がある、ということだ・・知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない

私は恥ずべきコラムと思う。・・吉田の話を北畠はそのまま鵜呑みにしたようだ。それだけではない。3月3日のコラムは、吉田証言の内容そのものに疑問を抱いた投稿者を、根拠もなく馬鹿扱いし、叱りつけている(p52)


・私(筆者注 長谷川)は北畠がヒソヒソと電話で語り合っている場面を度々目撃しました。その相手こそ(略)吉田清治氏だったのです。北畠は、『(吉田氏のような人は)世間の圧力が強くなると日和(ひよ)ってしまう』とか、『違うことを言い出す』とか、概ねそのようなことを言っていました。『取材するこちらが常に手綱を強く持っていないといけない』という趣旨のことも話していた(p54)


・北畠の親友だったという前出の人物は日本共産党員(後に除名される)だった。北畠が朝日新聞社に1963年(昭和38年)に入社し、大阪本社に配属されて二年くらいしたところ、北畠から日本共産党に入党する推薦状を書いてもらえないかと頼まれた。そこへの入党手続きを取る場合は推薦状が二通必要だったので、彼のために親友はそれを書くつもりだったが、間もなく彼の方から身近な所で用が足りそうだからと、その話を取り消してきた。その親友は後の後まで北畠は日本共産党員と思い込んでいた・・少なくとも北畠が入った時期の朝日新聞大阪本社では日本共産党員であることが、その記者なら記者の一種の勲章のようにごく内々では見られていたことを物語るのではないか(p55)


・そういえば、吉田清治は、戦後、日本共産党から下関市市議会議員選挙(昭和22年4月30日投票)に吉田雄兎の本名で立候補している(p56)


・「女たちの太平洋戦争」連載の言行の取りまとめ、つまりデスクをしたやはりOBの元朝日新聞大阪本社企画報道室副室長の柳(やなぎ)博雄・・吉田清治を扱った件の原稿は、当時編集委員だった前出のAからの売り込みであるという・・このAは、記事に書いた吉田誠治のことは何も思い出せない、と私にも言った・・柳は、朝日新聞社内が一般的に、慰安婦性奴隷視の吉見贔屓、公娼視の秦嫌いだったことを明らかにしてくれた・・(p59)


・柳は、自分の子供の時の体験を語ってくれた・・終戦後に朝鮮半島を南下している日本人の引揚者の集団に対し、「女を出せ」と、ソ連兵か朝鮮人らかが襲ってきた時、その引揚者の中の元慰安婦らが「私たちが行きます」と自ら身代わりになり大勢を救ってくれたおいう投書が相次ぎ、驚いたということを教えてくれた。中華民国在住の民間の日本人も敗戦で引き揚げることになり、柳一家の場合は米軍の舟艇に乗ったが、引き揚げの女性がこの船の中で米側の要員に襲われ、犯される事態が発生していて、柳の母は気が触れた風を装い、なんとか難を逃れた。その話を柳はのちのち、何度も母から聞かされた。その船に身代わりはいなかったらしい(p60)


・第二次世界大戦の時にソ連軍が占領した首都ベルリンを含むドイツの東部、東欧諸国で引き起こされたソ連軍による婦女子らへの非道、暴虐はよく知られている。フランスに上陸し、ドイツの西半分を攻略した連合軍、とりわけ米軍が、戦闘しつつ通過中のフランス、占領したドイツで犯したそれと比べても凄まじいものだったことは各種の文献で跡付けられているが、ソ連軍が、侵略した満洲、朝鮮北部など北東アジアで日本人、現地人の婦女子などに対して犯した暴虐も各種の資料、文献で明白である。生きて帰った人たちが証人だった。朝鮮半島では、ソ連兵士のほかに朝鮮人による暴行も目立ったが、逆に朝鮮人に助けられた話も伝わっている(p61)


・ヌグリスンビラン州でのこの第五師団の「民衆虐殺」なるものは、マレー・シンガポール戦直後の主として1942年3月に行われた「三月掃討」と言われるものを指す。これは第25軍司令部からの命令、情報などにより州内の特定の小集落、家族などを襲撃した作戦で、確かにその被害者を悼む慰霊碑類が州内の各所に建てられている。(p75)


・旧日本軍のこの「民衆虐殺」を訴える運動がずっと後になって日本の関係研究者らも加わって起こされ、・・当時の被害とするものを総覧する『日治時期森州華族蒙難史料』(日本統治時代のヌグリスンビラン州の華人受難の史料)という資料集まで出版され、その訳書も89年に日本で出ている(『マラヤの日本軍―ネグリセンビラン州における華人虐殺』1989年、青木書店刊)・・取材で同席していた中年の華人女性が外に出てきて、・・「シンガポールにいるという日本の朝日新聞の女性の記者が、虐殺は日本軍がやったことにしておきなさい、かまわない、と言ったんです」そして、その女性記者の名前を「マツイ」と述べた・・「マツイ」とは朝日新聞社アジア総局員の松井やよりである・・(p77)


・91年(平成3年)8月11日付の朝日新聞大阪本社発行の紙面に、同本社社会部の植村隆が韓国ソウル発で元朝鮮人慰安婦の一人がソウル市内に生存していることを報じた記事が大きく載った・・この訴状の金学順の訴状や韓国での本人の記者会見によると、貧困の中で彼女が妓生(キーセン)(芸妓))養成所に母親によって売られ、そこから養父が彼女を大陸の戦地の日本軍慰安所に連れて行ったことが判明する。しかし、植村のいずれの記事にも、彼女を巡るこうした決定的な事実が入っておらず、しかも慰安婦と勤労動員の女子挺身隊を同一視し、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」たとの虚偽が書かれている(p103)


・国連特別報告者・・クマラスワミはこの付属文書で、慰安所の制度化に関与した者の処罰など六項目の対処を日本政府に勧告している。ここで、さらに見落とせないのは、この付属文書Ⅰは、詐話師だった吉田清治の『私の戦争犯罪ー」とか、吉田清治のこの本も参考にしたオーストラリア人の日本軍慰安婦本からも話を引用していることだ(p113)


・かつて朝日新聞は1950年(昭和25年)9月27日付で、GHQの指令で公職から追放され、しかし姿を消して団体等規正令違反として全国に指名手配されていた日本共産党中央委員の一人の伊藤律と月光の下の兵庫県宝塚山中で単独会見したという「大特ダネ」を大々的に報じた。ところが、これが虚偽で大阪本社神戸支局員の作り話だった・・(p13)


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【私の評価】★★★★☆(80点)



■目次

第一部 過去を「悪」と見る条件反射
 第一章 吉田清治を称えた論説委員
 第二章 マレー半島「虐殺報道」の虚実
 第三章 松井やよりの錯誤
第二部 視野が狭くなる伝統
 第一章 朝日にたなびくマルクス主義
 第二章 尾崎秀実の支那撃滅論の目的
第三部 方向感覚喪失の百年
 第一章 歴史を読み誤り続けて
 第二章 一閃の光、そして闇



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