「日本史に刻まれた最期の言葉」童門 冬二

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日本史に刻まれた最期の言葉 (祥伝社新書)

【私の評価】★★★☆☆(78点)


■多くの先人が自分の死にあたって
 和歌・俳句を残しました。


 この本では、日本史に残されている
 辞世の句を歴史小説家が
 解説してくれます。


 さっぱりと明るく去る人と
 後悔と恨みを抱いて去る人が
 いることが印象的でした。


・(高杉)晋作は明治維新直前の慶応三(1867)年
 4月14日に、29歳で死んだ。このときにかれが最後の
 "生命の火花"を散らした言葉が次の歌だ。
 「おもしろきこともなき世をおもしろく・・・」
 これでかれは息苦しくなった。
 そのため枕頭にいた福岡の勤皇女性
 野村望東尼(もとに)が下の句を続けた。
 「すみなすものは心なりけり」(p208)


■分かったのは、
 死ぬ直前に残した言葉だけが、
 辞世の句ではないということです。


 この道を行くと宣言し、
 その道を貫き通したとすれば、
 その宣言こそが辞世の句になる。


 死を意識したとき、
 生をどう生きるのか
 決まるのだと思いました。


・鷹山は、米沢藩主になった時に密かに
 ある神社に自分の誓いを誓書としておさめた。
 うけつぎて国の司の身となれば 
 忘れまじきは民の父母 上杉治憲(鷹山)(p202)


■和歌は自分にはまだまだ
 理解の壁があることがわかりました。


 和歌はかっこいいけど、
 わかりにくい。


 童門さん、
 良い本をありがとうございました。


───────────────


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・かへらじとかねておもへばあづさ弓
 なき数にいる名をぞとどむる 楠木正行
 "なき数にいる"というのは、
 "死んだ者の中に入る"ということで、
 「生きている今、すでに死者の中に
 自分の名を加えておく」
 という悲壮な決意の表明だ(p33)


・親思ふこころにまさる親ごころ
 けふの音づれ何と聞くらん 吉田松陰・・
 松下村塾を主宰し倒幕維新の志士たちを
 限りなく育てた吉田松陰にしても、
 こういう親孝行な心を持っていた(p180)


・徳川家康がこんなことをいっている。
 「平氏を滅ぼすものは平氏なり、
  鎌倉を滅ぼすものは鎌倉なり」(p34)


・武田信玄がそういう厳しさを持っていた・・
 われた人を使うは、人をば使わず、
 その業(わざ)を使ふなり・・
 どこか織田信長に似ている・・(p73)


・村の長(おさ)がやがて王になり、
 王の王が天皇になり、それがやがて
 藤原氏を中心とする貴族の専制政治に変わり、
 武士の代表であった平清盛にまで下降し、
 しかし清盛が公家に上昇することによって、
 異議を唱えた源頼朝が鎌倉幕府を
 確立した・・(p120)


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【私の評価】★★★☆☆(78点)



■目次

第1章 未練を残した最期の言葉
第2章 武将たちの最期の言葉
第3章 天下が治まってからの最期の言葉―政治家・名僧・学者たち
第4章 戯作者と名君たちの最期の言葉


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