「福翁自伝」福沢 諭吉

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福翁自伝 (講談社学術文庫)

【私の評価】★★☆☆☆(68点)


■福沢 諭吉が自分の人生を語った一冊。


 洋楽を学ぶために長崎に出て、
 大阪から江戸、そして欧米へ
 旅に出ます。


 その後は幕府で翻訳の仕事をして、
 国家の交渉の内幕を見ました。


■明治においては、
 学問の必要を説き、
 慶應義塾を創設。


 文明開化による富国強兵と
 精神の独立を目指しました。


 福沢 諭吉さん、
 良い本をありがとうございました。


───────────────


■この本で私が共感したところは次のとおりです。


・いまワシントンの子孫はどうなっているかと
 尋ねたところが、その人のいうに、ワシントンの
 子孫には女があるはずだが、今どうしているか
 知らないが、何でも誰かの内室になっている
 容子だといかにも冷淡な答で、何とも思っておらぬ。
 これは不思議だ(p128)


・刀屋を呼んで、ことごとく
 売り払ってしまった・・
 ただ用心に用心して夜分は決して
 外に出ず、およそ文久年間から明治五、六年まで
 十三、四年の間というものは、
 夜分外出したことがない。
 その間の仕事は何だというと、
 ただ著書翻訳にのみ屈託して
 歳月を送っていました(p175)


・東洋の儒教主義と西洋の文明主義と
 比較してみるに、東洋になきものは、
 有形にて数理学と、無形において独立心と、
 この二点である(p224)


・私がふと思いついて、これは国会論を
 論じたら天下に応ずる者もあろう、
 すいぶん面白かろうと思って、
 ソレカラその論絶を起草して・・
 報知新聞の主筆藤田茂吉、箕浦勝人に
 その草稿を見せて・・報知新聞の
 社説に載せました・・当時世の中に
 マダ国会論の勢力のない時ですから、
 この社説が果たして人気に投ずるやら・・
 とんと見込みがつかぬ(p330)


・世間では男子が生まれるとたいそうめでたがり、
 女の子でも無病なればまずまずめでたいなんて、
 おのずから軽重があるようだが、
 コンナ馬鹿げた事はない(p309)


・支那の今日の有様を見るに、
 何としても満清政府をあのままに存しておいて、
 支那人を文明開化に導くなんということは、
 コリャ真実無益な話だ。何はさておき
 老大政府を根絶やしにしてしまって、
 ソレから組み立てたらば人心ここに
 一変することもあろう(p285)


・私の考えは塾に少年を集めて
 原書を読ませるばかりが目的ではない。
 いかようにしてもこの鎖国の日本を開いて
 西欧流の文明に導き、富国強兵もって
 世界中におくれを取らぬようにしたい(p253)


・三田の屋敷は福沢諭吉の拝借地になって、地租も
 なければ借地料もなしあたかも私有地のようではあるが、
 なにぶんにも拝借といえばいつ立ち退きを命じられるかもしれず・・
 明治四年の頃・・政府は市中の拝借地をその借地人
 または縁故ある者に払い下げるとの風聞が聞こえる・・
 その後地所代価収納の本証書も下りて、
 いよいよ私の私有地となり・・(p231)


福翁自伝 (講談社学術文庫)
土橋 俊一 福沢 諭吉
講談社
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【私の評価】★★☆☆☆(68点)



■目次

幼少の時
長崎遊学
大阪修業
緒方の塾風
大阪を去って江戸に行く
始めてアメリカに渡る
ヨーロッパ各国に行く
攘夷論
再度米国行
王政維新
暗殺の心配
雑記
一身一家経済の由来
品行家風
老余の人生


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