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「異才の改革者 渡辺崋山 自らの信念をいかに貫くか」童門 冬二

2010/12/28公開 更新
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【私の評価】★★★★☆(84点)


要約と感想レビュー

 現在の愛知県東部にある田原藩に、渡辺崋山という人物がいました。崋山が田原藩の家老となった天保の頃は(1830年頃)、田原藩の財政は破綻寸前で、崋山は藩の財政再建を指導しました。家老となって4年目の天保の飢饉でも藩民の命を優先し餓死者を出さなかったという。(家老でありながら、日本画を描いて小銭を稼いでいる変わった人でもあった。)崋山の財政再建の手法はオーソドックスに、ムダな費用を削減し、そこで浮いたお金を競争力のある商品開発に投資するというものでした。


・大蔵永常の農業指導の特性は、「主要食糧である米の生産だけに限っていてはだめだ」というものだった。だからかれの指導の主力は、「商品になる作物の栽培」にウエイトを置いた。(p43)


 しかし、崋山は、改革の途中で、幕府を批判した罪で有罪とされ、さらに謹慎中に日本画を売ったということで批判され、結局、自害しています。有能な人であったようですが、改革者や変わった人は組織の中では、なかなか生きにくかったようです。著者の童門 冬二さんも東京都庁に勤めながら本を書いていましたので、自分の姿を崋山に見ていたのではないでしょうか。童門さん、良い本をありがとうございました。


この本で私が共感した名言

・産物会所や国産会所がつくられた。いってみれば、「藩営商事会社」である・・・薩摩藩における黒糖の専売、長州藩における三白(あるいは四白)と呼ばれる産品(塩・ローソク・紙そして米)などの生産専売(p130)


・幕府の要職を占めるためには、贈賄以外にない。そしてもうひとつは人間関係だ。つまり、「幕府要路の誰を知っているか」ということであり、その人物の見当がつくと、今度はその人物に、「こういうポストをお願いしたい」と頼みにいく(p262)


・「官官接待」・・・ぼくはこの"接待"という言葉には抵抗を感ずる。それは接待ではなく、「腹を割った打合せ」の場合が多いからだ。(p296)


▼引用は下記の書籍からです。


【私の評価】★★★★☆(84点)



著者経歴

 童門 冬二(どうもん ふゆじ)・・・1927年生まれ。東京都立大学事務長、東京都広報室課長、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任。1979年作家となる。


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