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「たった一人の30年戦争」小野田 寛郎

2006/02/20公開 更新
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たった一人の30年戦争


【私の評価】★★★★☆(84点)


要約と感想レビュー

 フィリピンでゲリラとして戦後30年間、戦争を続けた小野田さんの話を聞くと、戦前の日本のイメージが湧き上がってきます。小野田さんは、日本という国家のために戦友たちと命をかけて戦った日本人なのです。


 明治の人は偉かった、昔は良かったというような話をする人がいます。確かに、昔のほうが良い点もあったでしょう。しかし、長い目で見れば、社会とういうものは進歩しているように感じられました。


 昔の日本は、相対的に貧乏であり、植民地を持つことが富を増やす手段であったわけですが、現在は、モノを生産することで、富を増やすことができるようになりました。


 著者の小野田さんは、戦前の「命をかけて」取り組むという考え方が、現代社会では風化してしまっていると残念であるとしています。しかし、3万人とも言われる自殺数と戦前の「命を惜しむな」という風潮と関係がないのでしょうか。命がけでやっているから自殺を選ぶのか、それとも命がけで取り組んでいれば、自死は選ばないのか。いずれにしろ、戦前と戦後では、考え方が変わったのは間違いないのでしょう。


・戦前、人々は「命を惜しむな」と教えられ、死を覚悟して生きた。戦後、日本人は「命を惜しまなければならない」時代になった。何かを"命がけ"でやることを否定してしまった。覚悟をしないで生きられる時代は、いい時代である。だた、死を意識しないことで、日本人は「生きる」ことをおろそかにしてしまってはいないだろうか(p235)


 30年という時を超えて、戦争中の日本から平和な国に帰国した小野田さんの目を通して、戦前の人々の考えを知ることのできる良書でした。


 戦争が貧乏から発生したこと、台湾を切って中国と仲良くするのは戦前の人の感覚としては信義に反すること、など学びの多い一冊でしたので★4つとします。



この本で私が共感した名言

・祖国は、「敗戦」が信じられないほど高度成長、経済大国として繁栄を謳歌していた。あの戦争は、国が貧乏し国民が食えなくなって始めたものである。(p12)


・なぜ生きて帰った私だけがこんなに歓迎されるのか。戦争で死んだ仲間はどうなのか。私は遅まきながらも国家の恩恵を受けた。だが、死んだ仲間は非道な戦争の加害者のように社会から疎んじられている。戦友たちは国家と悠久の大儀を信じて死んだのだ(p210)


・小野田さんは日中国交回復(昭和四十七年九月)を知っていますか。いままで仲良くしていた台湾を切って、中共(中国)とつながるのは人間の信義に反する。小野田さんの写真を撮って日本政府に見せ、居場所を教えることを条件に日台関係を改善させる。(鈴木紀夫)(p229)


たった一人の30年戦争


【私の評価】★★★★☆(84点)



目次

ブラジルの日々
30年目の投降命令
フィリピン戦線へ
ルバング島での戦闘
密林の「残置諜者」
「救出」は米軍の謀略工作だ
終戦28年目、小塚一等兵の"戦死"
たった一人の任務遂行
帰還、狂騒と虚脱と
生きる


著者経歴

 小野田 寛郎(おのだ ひろお)・・・1922年生まれ。1939年、旧制中学を卒業。貿易商社に就職、中国・漢口(現在の武漢)支店勤務。1942年、和歌山歩兵第61連隊入隊。1944年久留米第一予備士官学校入校。陸軍中野学校二俣分校で訓練の後、フィリピン戦線へ。以後30年、任務を遂行。1974年、鈴木紀夫氏と遭遇し、祖国に帰還。1975年ブラジルに渡り、牧場を開拓、経営。1984年、子供キャンプ「小野田自然塾」を開く。


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